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「最後まで頭取候補の一人と目されていましたが、92年、常務を最後に関連の芙蓉総合リース社長に転じます」(同前)

 新造氏の頭取レースのライバルは、同期入行で東大経済学部卒の山本惠朗氏だった。山本氏は新造氏より1年早く89年に常務に就任。91年に副頭取、96年に頭取に昇りつめた。

「二人の明暗を分けたのは、当時、役員人事を事実上掌握していた松沢卓二氏(元頭取)の存在です。“富士の天皇”と呼ばれた松沢氏ですが、唯一の失策と言われたのが、米金融会社ヘラー・インターナショナルの買収(84年)でした。収益が上がらない中、山本氏は訪米してヘラー再建に奔走した。そうした姿が評価され、頭取を射止めたとされています」(同前)

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いとうあさこ

伊藤氏がトップだったら…

 その山本氏が日本興業銀行の西村正雄頭取(当時)、第一勧銀の杉田力之頭取(同)と組んで00年に誕生させたのが、現在のみずほフィナンシャルグループだった。が、その後、同行がシステム障害を繰り返してきたのは、周知の通りだ。

 みずほ元役員はこう溜め息を漏らす。

「山本氏は本部勤務が長く、支店長の経験も無かった。以降も現場をよく知らないトップが続きました。これが伊藤頭取ならどうだったか。現場への目配りで、今日のような混乱を防ぐことができたかも……」

 みずほのヒストリーも変わっていた。