文春オンライン

2022/07/30

「子どもを産むつもりがない」とは怖くて言えなかった

菅原 今お話ししたような経緯があったので、私の口から義両親に「子どもを産むつもりがない」とは怖くて言えませんでした。だから夫を通じて伝えてもらったんです。

 夫によると、お二人は「どんな選択をしても、あなたたちが幸せならそれでいい」と言ってくださったみたいで。それを聞いた時は嬉しくて、思わず泣いてしまいました。

 私自身は血のつながった家族との関係が切れてしまっていますけど、今は夫のご家族から「家族の絆とは、こういうものなんだな」というのを教えてもらっています。

 

父のDVで両親が離婚して、母が情緒不安定に

――ご自身はどのような家庭環境で育ったのでしょうか。

菅原 私が3歳の頃、父のDVが原因で両親が離婚したんです。だから、父との思い出はほとんどありません。

 母のことは大好きでしたが、父との離婚後は情緒不安定になって、いつもピリピリしていて。怒ると物を投げつけられるし、包丁を向けられて「真っ赤な血が出るまで切り刻んでやる!」と怒鳴られたこともあります。

――幼い頃から、ご両親に甘えられない環境だったんですね。

菅原 母の実家が地主だったので、離婚後もお金には不自由なく育てられました。私は小さい頃に舞台の子役をやっていて、母は私に歌やダンスなど、習い事もたくさんさせてくれたんですよ。それには本当に感謝しています。でも、母と手をつないで歩いたり、母に抱きしめられたりした記憶はほとんどありません。

 

――それでも、お母さまのことが大好きだった。

菅原 子どもの頃の私にとって、母は人生の全てだったんです。母を喜ばせるのが私の生きがいだった。だから、母が怒っていると「私はだめなんだ」「なんで母の理想の子になれないんだ」と悲しくなりました。

 シングルマザーで2人の子どもを必死に育ててきた母を思うと、決して子どもに当たりたくて当たっていたわけではないと思うんですよね。今なら、毎日必死で気持ちに余裕がなかった母の気持ちがわかる。でもやっぱり子どもの頃は、母がイライラしている姿を見るのが辛かったですね。

――そういった幼少期の経験が、ご自身の考え方に影響していると思われますか?