母親がガンで他界、弟と祖父とは絶縁状態に
菅原 私が大学を卒業する時に、母のガンが発覚したんです。1年の余命宣告を受けて、ちょうど1年後に他界しました。母が亡くなった時はとてつもなく悲しくて、私の人生の時間が止まってしまった感覚でしたね。
――そうでしたか……。先ほど「家族との関係が切れている」とおっしゃっていましたが、お母さまのほかにご家族は。
菅原 両親が離婚したあとは、母と弟、そして祖父の4人で生活していたんです。でも祖父はとても厳しい人で、幼い頃から怖くてあまり近づきたくなかった。しかも私が思春期に差し掛かった年頃になると、私がお風呂に入っている時にドアを開けて、覗いてくるようになって。
祖父からすると冗談のつもりだったのかもしれませんが、当時の私は深刻に悩んで、余計に祖父を避けるようになりました。そして祖父を避け始めたら、今度は弟が私を嫌うようになって。
――なぜ弟さんは、菅原さんにそういった態度を見せるようになったと思われますか?
菅原 弟は、私がなぜ祖父を避けているのか、本当の理由を知らなかったんです。だから弟には、私のわがままで祖父に反抗しているように見えて、私の行動を良く思わなかった。
また、私が子役をしている時、レッスンや公演のたびに母が送り迎えをしてくれていたから、弟は家の留守番をしなきゃいけない時間が多くて。それも私を嫌いになる要因の1つだったのかもしれません。
母が亡くなって葬儀が終わった後には、私への不満が爆発した弟から「お前を家族だと思っていない!」と言われてしまって……。
祖父からも、「お前が演技や音楽をしていても、誰も喜ばない」と言われたんです。大好きな母を失ったばかりでただでさえショックを受けている中、そこまで言われて音楽を続ける気にはなれず……。私は音大に通っていて、卒業後に留学する予定もあったのですが、それも止めました。
――その後、ご家族との関係は。
菅原 弟と祖父に言われたことがあまりにショックで、相続のことをすべて弟に託して、逃げるように家を出ました。それ以降、祖父と弟とは今も連絡を取っていません。弟には着信拒否をされているので、そもそも連絡ができない。
世間では「血のつながり」とか「家族の絆」が大事と言われているけど、私は自分の体験から「家族には血のつながりがあるけど、絆が結ばれるとは限らない」と思っています。
「血のつながり=絆が強い」というのがどうしても信じられないから、“自分と血のつながった子どもが欲しい”という思いが芽生えないのかもしれません。
写真=菅原恵利さん提供
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