進学校である函館ラ・サール高校からプロバレエダンサーへ
――受験でバレエを一時中断したんですね。
ヤマカイ 中学受験のために小学校の終わりでやめて、再開は高1くらい。実は受験終わってすぐ戻ってみたんですけど、成長痛で体はめちゃくちゃ痛いし、小学生で結構うまかったのに、しばらく休んだら全然できなくなっていて「こりゃもうダメだな」と。でも母の希望や、僕の小学校時代を知っている大人たちからの勧めもあって、高1からまたゆっくり再開しました。その頃は、テニスにも夢中になっていたので、並行してやっていました。
――進学校の函館ラ・サール学園に通っていたのですね。バレエダンサーという進路は、かなり異色だったのではありませんか?
ヤマカイ そうですね。みんな大学受験するし、親も大学受験すると思ってるんだろうなと。でも高2の夏休みに進路を考える時点で「ああ、バレエもやっていきたいな」と考え始め、ニューヨークにあるバレエアカデミーのサマーインテンシブに3週間行ったのがきっかけで、やっぱりバレエでやっていきたいと強く感じるようになりました。同級生は「すごいじゃん。おれだったらバレエを選ぶ!」と応援してくれる子がけっこういました。
――実際にプロバレエダンサーになるまでは、どのような道のりだったのですか?
ヤマカイ 高校を卒業してから、ニューヨークにあるバレエ学校に入りました。半年で付属のバレエ団の研修生に上げてもらい、2年目で正式な団員に昇格しました。
――「ヤマカイTV」にも登場するパートナーのネレアさんとは、ニューヨークでも同じバレエカンパニーだったんですか?
ヤマカイ はい。ニューヨークに4年半いて、最後の1年にネレアさんが入ってきました。しばらくして一緒にニュージャージーのカンパニーへ移籍しました。カンパニーによっては、ペアの方がオーディションに合格しやすい場合もあるんです。
海外で家賃の支払いに困窮して始めたYouTube
――そもそもプロバレエダンサーだったヤマカイさんが、どうしてYouTubeを始めたのでしょうか?
ヤマカイ 実は、ニュージャージーでは家賃がすごく高くて。でもビザの関係で、バレエ以外の仕事はできない。そこで、アートにもビジネスにも長けているカンパニーのディレクターに相談したら「オンラインで何かやってみたらどう?」と勧められました。それで、日本にいる兄に電話をかけて相談して、一緒にYouTubeチャンネルを開設することにしました。
兄が「バレエ界だけに特化した狭い内容じゃなくて、より大きいターゲットに向けてやろう」と言ってくれたので、僕も同意してチャンネルの方向性が決まりました。さらに、社会貢献できる理念を掲げようということになり、自分たちの活動によってみんなが得をするような状況を作り出せるミッションというところで、理念を「バレエを広める」にしたんです。
――「バレエを広める」という理念が社会貢献であるというのは?
ヤマカイ 日本のバレエ界で問題になっていることって何だろう、と考えたときに、日本はバレエ人口は多いけど、劇場でバレエダンサーたちにペイされていない現実があることに気づきました。ソリスト以上なら給料が出るけど、研修生や群舞の人はむしろお金を払っている場合もある。日本ではプロもアルバイトをしながら生計を立てていたりする。
これはきっと、チケットを買うオーディエンスが増えれば解消されるんじゃないか。バレエの市場を拡大すること、「バレエを広める」ことが、バレエ界がこれまで抱えてきた問題の解決策になるのでは、と考えたわけです。