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「じゃまだったの。死んでもいいと思ったわ」養父の死の床には…恋に目がくらんだ娘がした“恐ろしい仕打ち”とは

『この父ありて 娘たちの歳月』より#2

2022/10/31

source : 文藝出版局

genre : ライフ, 社会, 政治, 読書, 歴史

 183名の隊員のうち、特攻要員は50名。本来なら島尾は、隊長として彼らの訓練を指揮しなければならない立場である。だが戦争末期の物資不足の中で開発されたべニヤ製の震洋は破損しやすく、湿気や衝撃で回路がショートして爆発事故が起こる危険性もあった。そのため訓練の頻度を少なくせざるを得なかったのだ。基地の存在を敵に知られてはならず、空襲の際も反撃は許されなかった。

 島尾が大平家を訪れる時間があったのは、ただ敵を待つだけの宙ぶらりんな日々が続いていたからだった。

 南の果ての小島に、文一郎のような端倪(たんげい)すべからざる人物がいたことに、島尾が強い印象を受けたことはすでに書いた。では、父としての姿は彼の目にどのように映ったのだろうか。大平家で食事をしたときのことを、島尾はのちにこう回想している。

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 自分の娘をこんなにやさしく呼ぶ父親の声をきいたことがない、とそのとき私は思った。(中略)愛情をあんなにかくさずに表わせることを私は知らなかった。しかも彼の体軀(たいく)は肩幅もがっしりしていて、容貌にも老人ながら男らしいにおいがただよっていた。自分のひとり娘を男の子に見たてていつも坊、坊と呼びかけていたその調子が私には世にもやさしくきこえたのだった。(「私の中の日本人」より)

 文一郎は軍人ぎらいだったが、島尾は人に命令することが苦手で威張ることも怒鳴ることも決してない、およそ軍人らしくない隊長だった。山道で年寄りの荷を背負い、子供たちのために絵本を作ってやる異色の隊長は、集落の人々にも慕われた。

 ミホによれば、まだ学生の雰囲気を残している島尾が、特攻というむごい責務を担っていることにも、文一郎は心を動かされていたという。

恋に目がくらんだミホは老いた父を…

 ミホと島尾はやがて、深夜の海岸で逢瀬を繰り返すようになった。空襲がひんぱんになり、住民たちが裏山の疎開小屋で夜を過ごすようになると、逢瀬の場所は大平の家になる。ミホは文一郎を一人で疎開小屋に行かせ、部隊を抜け出してくる島尾の訪れを夜通し待った。

 スカマミチィダニ

 ヨネヤ マタ ミブシヤ

 イキヤシ 十日 二十日

 ワカレテ ヲラリヨ

(今朝お逢(あひ)してさへ

 夕べとなれば亦(また) お逢ひしたうございます

 どうして十日、二十日

 別れて居られませう)

 ミホが当時、島尾に宛てた手紙の一節である。

 奄美の言葉の美しさを愛した島尾のために、ミホはしばしば島唄を歌い、島言葉で手紙を書いた。この手紙には、二人に残された時間がわずかであることを意識したミホの、焦がれるような思いが綴られている。

 だが、恋に目がくらんで老いた父を山の疎開小屋へ追いやった事実は、のちに大きな負い目となってミホをさいなむことになる。