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「友達ではなくヒマつぶしの相手」中1男子をカッターで何度も切りつけ…犯人の少年たちが殺害後にとった“驚きの行動”とは

『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』より#2

2022/11/08
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「俺は誰とも友達だなんて思ってないよ。ヒマつぶしの相手だね。ゲームやっているだけなら、お互いに話をしなくていいじゃん。だから一緒にいてゲームやってただけ」

 寂しいから一人でいたくないけど、かといって信頼関係で結びついた友達関係を築きたいわけでもない。だから、お互いのことをどうでもいいと思っている。

 そんな薄っぺらな関係だからこそ、いき違いがあった時、Aは話し合いで問題解決をしようとせず、酔っぱらった勢いで遼太に暴力をふるおうとした。その上、くだらないメンツを守るために、はるかに年の離れた弱い立場の遼太を寄ってたかってカッターで43回も切って殺し、その後も平然とゲームをつづけられたんじゃないだろうか。

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©iStock.com

 僕はこの事件には、現代の社会問題がたくさん含まれていると感じる。貧困、虐待、シングルマザー、不登校、自己否定感……。

 この事件だけじゃない。少年院の子供たちに会って話を聞くと、ほとんどが同じような問題を抱えているんだ。なぜそれらが少年犯罪を生み出す要素となるんだろうか。そのことについて考えてみたい。

「反社会の子供」から「非社会の子供」へ

 教育現場に長年たずさわっている人たちは、かつて学校で問題児とされたのは「反社会の子供」だと語る。

 反社会とは、社会に対して怒りをぶつける子供たちのことだ。彼らの中にある負のエネルギーをケンカ、暴走、教師への反抗という形ではきだそうとする。

 反社会の子供たちは、愚連隊や暴走族といったグループをつくっていた。リーダーや先輩は絶対的な存在であり、部下たちはグループのために動かなければならなかった。逆にリーダーや先輩は後輩たちの面倒をみて、いざとなったら守る。反社会の子供たちはそういう主従関係の中で結束していたんだ(彼らがこの関係をそのまま大人の社会にもち込んだのが暴力団などの「反社会組織」だ)。

 一方、現在の日本からは「反社会の子供」が減って、新たに「非社会の子供」が増えていると言われている。非社会の子供とは、「社会にあらざる子供」という意味だ。

 非社会の子供が、どういうタイプか想像がつくだろうか。いくつか特色をあげれば、次のようになる。

 ・学校の人間関係に入っていけず、友人と呼べる相手ができない。

 ・他人ばかりでなく家族とさえ信頼関係を築くことができない。

 ・自分の意志をもてず、コミュニケーション能力が低い。

 ・ゲーム、ネット、アニメなど二次元空間に居場所を見出す。

 ・打たれ弱く、失敗を恐れ、何をやってもつづかない。

 ・社会や将来に対して希望を抱くことができず、何に対しても投げやり。

 こうした子供たちは、他人とも家族ともかかわらず、社会から離れたところで孤立していることが多い。親や教師に何かを言われても耳をかたむけず、かといって友達とつるむわけでもなく、意思表示をすることもなしに一人ですごしている。

 世の中に対して希望を見出せず、自己否定感も強いため、勉強、部活動、仕事など一つのことがつづかない。ちょっとでも理想通りにいかないと、「もういいや」「めんどくさい」と投げやりになって逃げ出してしまう。だから、いつまで経っても、社会の中に居場所を見つけることができない。これが「社会にあらざる子供」であるゆえんだ。

 先ほど現代の問題が自傷、不登校、引きこもりにあると言ったけど、非社会の子供はこうしたことにおちいる率が高い。逆にいえば、これらは非社会の子供たちの特徴的な行動だと言えるだろう。