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妻・榊原郁恵は「一番必要な人」

 郁恵さんとは23歳で出会い、3年後に結婚。アイドルには興味のなかった渡辺さんだが、郁恵さんは唯一好きで部屋にポスターを貼っていたという。ドラマで共演したのをきっかけに交際に発展する。

77年にデビューした榊原郁恵  ©共同通信社

 女房には下心がなくて何でも話せたんですよ。「ゆうべ六本木に飲みに行って、こんな女の子と知り合ってさ」と女の子の話をしては「最低!」と言われてた(笑)。手の内を全部知られちゃっているんだけど、その分、いつの間にか僕には欠かせない一番必要な人になってしまったんです。

 結婚した時は、女房のおふくろさんの住んでいるマンションの違う階に部屋を借りました。そのとき女房に「俺はこれから3回家を建てる」と宣言したんです。そして、結婚して3年後の90年4月に世田谷の砧の百坪の土地に家を建てた。やっぱり生まれ故郷に帰るではないですけど、『太陽にほえろ!』の撮影所の近くなんですよね。その頃お世話になった行きつけのトンカツ屋とか中華料理屋がある砧商店街には知り合いも多くてホッとするんですよ。

1987年3月、榊原郁恵との婚約会見 ©共同通信社

 そろそろ二軒目を建てようと思って女房に相談したら、「もっと都心がいい」と言うんです。でも、俺の中ではボスが住んでいた成城に家を建てたいという目標でモチベーションを上げていたんで、次はやっぱり成城だ、と。

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 80年代から現在に至るまで、俳優業のみならず、CM出演やバラエティ番組での司会など、幅広い活動を続けてきた。そして2004年3月には42歳にして念願の二軒目を建て、現在も義母と2人の息子の5人で暮らす。地下一階にシアタールームを備えた120坪の大豪邸である。

 シアタールームは最高のものを作りたかったので、映像と音響、そしてそれを制御するコンピュータと、3つの専門家のチームを作って彼らにすべて任せたんです。そしたら、音響機材だけで3000万、映像機材で11000万、その他にも防音壁やライト類、特別なケーブルとかで、べらぼうな金がかかりました。

 二軒目の家は一軒目の反省を生かして“外ヅラ”と“内ヅラ”というのをテーマにしました。つまり、人をもてなす部屋と家族がくつろげる部屋をきちんと差別化したんです。だから、応接間はホテル風にして暖炉があったり、僕が一目惚れして買った前田青邨(せいそん)の『紅白梅』の絵と女房が気に入って譲ってもらった鉄のデカいオブジェが置いてある。そういう我儘な空間は完全に外ヅラです。一方、内ヅラの奥のリビングには僕の趣味の将棋関係のものが置いてあったり、いつでもゲームのできる場所がある。

 今は三軒目を建てたいと目論んでいます。これは自分への言い聞かせや励ましなんですよね。やはり親父が家を建てると宣言した時の、あの頑張りようは衝撃的で、尊敬に値することでした。だから、僕にとっても家を建てることが、働くモチベーションになっちゃうんです。

(取材・構成 大西展子)