308号暗峠の意外な歴史
江戸時代には参勤交代路としても使われ、殿様が乗った籠が滑らないように、あるいは行列が雨や雪でもぬからないようにするため、郡山藩により石畳が敷かれた。峠が急勾配なのも、石畳も、この道が古くから街道であったことに起因しているというわけだ。
その後、主要な通りであったにも関わらず大きな改修は行われず、代わりに第二阪奈有料道路が1997年に開通した。
そのため、国道308号には急坂や石畳が今も残り、往時の風情を感じさせてくれる。308号に限らず酷道というのは、時代の流れに取り残されてきた国道であることが多く、それが酷道の大きな魅力でもある。
暗峠で嬉しいのは、石畳だけではない。峠の頂上付近に一軒の茶屋が今も営業しているのだ。かつて、人々が徒歩で往来していた時代には、休憩できるように峠に茶屋はつきものだった。令和の今になっても、峠に茶屋がある光景が見られるというのは、土地の歴史をリアルに感じられ、とても嬉しい。
江戸時代には、暗峠に20軒近くの茶店や旅籠があったといわれている。また、郡山藩の柳沢家も峠付近にあったというので、当時はとても活気があったのだろう。今も山の上に集落があるのも、納得できる。
また、暗峠には、近年まで“最大幅1.3m”という規制標識が設置されていた。車幅が1.3mを超える車は通行してはいけないということになるが、軽自動車でも車幅は1.4m以上ある。実質的な通行止に等しいのではないかと酷道マニアの間で囁かれていたが、実際には多くの自動車が通行していた。これが話題になりテレビ番組で取り上げられると、管理者により撤去されてしまった。
標識は撤去されてしまっているが、この先に規制があることを示す予告標識が、今も麓に残っている。しかも、予告標識は現在の表記とは異なる旧制標識。1963年に変更されているので、それ以前に設置されたものだ。風化して読み取るのも困難だが、興味のある人は探してみるのも一興だろう。
暗峠から奈良県側へ下りはじめると、わずかに道幅が広くなる。急坂ではあるものの、大阪府側に比べると勾配も緩やかだ。斜面に建ち並ぶ住宅の間をすり抜けて坂を下り、しばらく走れば酷道区間は終わりを告げる。
酷道308号は、全国の酷道のなかでは比較的距離は短いものの、多くの魅力や酷さが凝縮されている。多くの人に訪れてほしい場所ではあるが、急坂と狭隘路が連続するため、初心運転者やサンデードライバーには決してお勧めできない。それに、対向車と行き違うことができない暗峠に自動車が殺到すると大変なことになる。
運転に自信がない方には、近鉄奈良線などを利用し、徒歩で登ることをお勧めしたい。ゆっくりと巡ることで、気づくことも多い。旧制標識を発見できるかどうかは保証できないが、体力作りに役立つことだけは間違いないだろう。
写真=鹿取茂雄
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