呼吸音だけがかすかに響く静謐な病室。それが、朝比奈秋『植物少女』の主な舞台である。
主人公の美桜(みお)は、祖母と父と暮らしている。母は美桜を出産した際に脳出血で植物状態となり、ずっと病院にいる。美桜にとって母親は、〈会いに行く人物〉なのである。
寝たままの母から乳をもらって育った美桜は、小学生になってからはベッドにのぼっては母の顔をいじったりクレパスで化粧を施したり、勝手し放題だ。
首は常にねじれた状態で、声を発することもない無表情な母親は、呼吸をしているだけの存在だ。だが、体は温かいし、食べ物を与えれば咀嚼し、手に触れれば反射で握り返す。間違いなく生身の人間である。美桜にとってはそれが母の常態であり、父や祖母が語る思い出の中の母の像とはうまく結びつかない。むしろ、現在の状況を嘆かれたり、同情されることに反発を覚えている様子である。
ある夜に美桜が家から抜け出して堤防に向かって走る場面に、胸を突かれる。頭も胸も空っぽになった時、彼女はふと呼吸以外なにもできない母の生を感じとるのである。〈母はかわいそうじゃない〉〈みじめじゃない〉〈空っぽなんかじゃない〉。そんな少女の主観的感覚を、読者にも実感させる筆致が素晴らしい。意思疎通が可能かどうかは関係なしに、そこにその人が“存在して、呼吸して、生きていること”の尊さを、これほどまでに伝えてくれる場面はないのではないか。少なくとも、生のあり方、人と人との繋がり方は多様であり、他者が勝手に判断を下して憐れんだり蔑んだりするものではない、と感じさせられるはずだ。
その後も美桜は成長していく。病室の人々や看護師や医師、祖母と父との関係も変わっていき、やがて母にも変化が訪れる――。
生というものの本質をえぐりだす本作の著者は医師である。小説にはまったく関心がなかったが、30代半ばから突然物語が映像となって脳内に浮かぶようになり、それを小説化するようになったそうだ。そう聞くと映像が鮮明に浮かぶ文章にも納得するが、それだけではない。呼吸の音、息の匂い、肌のぬくもりなどの描写も繊細で、五感すべてを体感させてくれる世界がここには広がっており、確かな筆力を感じさせる。それは北国の村に赴任した医師の日常を描き、林芙美子文学賞を受賞した「塩の道」、ストーマ(人工肛門)をつけることとなった女性が主人公の「私の盲端」でも同じである(どちらも『私の盲端』所収)。
自分ではひたすら映像を書き留めているだけで、設定、人物造形、展開もコントロールできないというから不思議だ。これまでに発表された三篇は医療に関わる内容だが、今後もそうだとは限らない。この先、作家の無意識からどんな物語が掘り起こされていくのか、興味は深まるばかりだ。
あさひなあき/1981年、京都府生まれ。2021年、「塩の道」が林芙美子文学賞の大賞を受賞。受賞作を収録した『私の盲端』でデビューした。現役の医師でもある。
たきいあさよ/1970年生まれ。ライター。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』。