「シン・ゴジラ」は初代ゴジラの衝撃の本質を捉えていた
恋「確かに、『シン・ゴジラ』はおもしろかったですよね! 怪獣映画には無関心の私も大満足でした」
小「『シン・ゴジラ』と初代『ゴジラ』は、設定も展開も結末もまるで別物や。だけど、オレの見るところ、『シン・ゴジラ』は、初代『ゴジラ』の精神を最も忠実に受け継いだ怪獣映画であり、当時の観客が受けたであろう衝撃の再現に、かなり成功していると思う。理由は、作り手たちが『圧倒的に強大で異質な存在が日常生活を破壊し尽くすが、それに対して何ら為す術がない絶望感と無力感』という初代ゴジラの衝撃の本質を、しっかりと捉えていたからや。目指すべき山頂は初代『ゴジラ』と同じやけど、そこに至る登頂ルートは、時代の変化に応じて大幅に変更する必要がある。目的と方法論との違いを明確に意識できていたことが、『シン・ゴジラ』の勝因やろう」
恋「『crybaby』は、そのあたりの意識化がしっかりできていなかった、と」
小「残念ながら、そう言わざるを得んやろうな。そやから、主人公の不動明が性欲をもてあまして飛田新地みたいな色街をうろついたり、登場人物が突然ラップで自分の欲求不満を延々と歌い始めたりと、目が点になってしまうシーンが続出するわけや。『crybaby』に限らず、漫画版『デビルマン』の映像化は失敗続き。2004年に公開された映画『デビルマン』は『映画自体が事故みたいなもの』と酷評されたし、それ以前に製作されたオリジナルビデオアニメは、完結することさえできんかった」
恋「漫画版がそれだけすごい、ということなんでしょうね」
小「とはいえ、『山頂のこれだけ手前で遭難することもないやろう』と嘆きたくもなるわけ」
恋「まあ、小石さんが実際に作るわけじゃないですからね。おっちゃんが晩酌しながらプロ野球の試合を見て、監督の采配にブツブツ文句つけているのと、あんまり違わない気がしますけど」
小「あのなあ。オレのライフワークは『個人と物語と社会』の相互作用の解明やぞ。特に漫画版『デビルマン』は、『新世紀エヴァンゲリオン』プロデューサーの大月俊倫氏(56歳)が『(リアルタイムで連載を読んでいて)毎週、毎週、だんだん気がヘンになりそうでした』『我々の70年代安保はやっぱりデビルマン』と発言しているぐらい、オレらの世代の多くの人びとに決定的な影響を与えた作品や。だからこそ、国会図書館にこもってまで延々と考え続けていたんや」
恋「へえー。そこまで言うなら今度読んでみてもいいかな。とりあえず、あらすじだけでも教えてくださいよ」
小「読んで、びびって、泣きべそかくなよ(子どもの負け惜しみとほぼ同レベル)。人間よりもはるかに強い攻撃本能を持ち、様々な動植物との合体能力や超能力を備えた地球の先住人類『デーモン(悪魔族)』が200万年の眠りから復活し、人類から地球を奪い返そうとしていた。平凡な日常を送っていた高校生・不動明は、親友・飛鳥了の導きによってデーモンと合体。人間の心と悪魔の力を併せ持つ『デビルマン』となり、人類をデーモンから守るための孤独な戦いを始める。次々とデーモンの刺客を倒していくデビルマン。しかし、デーモンはほどなく、不動明を無視して人類に対する『全面戦争』を仕掛けてくる。そこでデーモンが目をつけたのが人間の心の弱さ。人類は自らの恐怖心や猜疑心をデーモンに巧みに刺激され、滅びへの道を突き進み始めるんや」
「デビルマン」をリメークする上で、絶対に外せないポイントとは
恋「うう。やっぱり暑苦しそうな話ですねえ」
小「(あえて無視)。漫画版『デビルマン』でやっかいなのは、『週刊誌連載1年=単行本5冊分』というコンパクトなボリュームの中に、あまりにも色々な要素が詰め込まれていること。古典的な怪談でもあり、不動明と親友・飛鳥了の『愛と憎悪の物語』でもあり、人類全体の行く末を扱った壮大な物語でもある。そのどれもが非常に濃くて完成度が高いもんやから、作品の何が本質で、何が枝葉の要素なのか分からなくなってしまう。リメークする際の困難も、実はそこにあるんや。
そやけど、オレの考える『デビルマンの本質』は非常にシンプル。それは石ノ森章太郎の漫画版『仮面ライダー』の延長線上にある『変身ヒーローもの』ということや。不動明が、とにかく強くてかっこいいヒーローであること。それが『デビルマン』をリメークする上で、絶対に外してはいけないポイントなんや」
恋「えー。変身ヒーローものなら、世の中に掃いて捨てるほどありますよ。漫画版『デビルマン』が衝撃的だったのは、『変身ヒーローもの』のフォーマットを借りつつも、そこから大きく逸脱していったからじゃないんですか」