「その後の銀次の消息は伝えられていない」
1930(昭和5)年3月25日付東朝に「仕立屋銀次捕はる 又もや悪心」という見出しが見える。
24日午後3時半ごろ、新宿三越分店3階呉服売り場で、大島の袷羽織を着た老人がセル反物1反、錦紗(紗に金糸などを織り込んだ絹織物)反物2反、価格70円(現在の約13万7000円)を万引きしようとするところを淀橋署員が発見。調べると、掏摸の大親分で仕立屋銀次の名を売った府下小松川町1ノ49、富田愛次郎(67)で、最近は全く改心してせがれの家に厄介になっていた。ふとした出来心からこのような始末に及んだもので、同署でも同情している。
名前を間違っているのはどうしたことか。この件の処分がどうなったか分からないが、同年7月12日付読売には「仕立屋銀次は不起訴」という短信が載っている。
「6月29日、上野松坂屋で反物2反を窃取し、上野署員に発見されて窃盗の現行犯として告発された仕立屋銀次こと富田銀蔵(67)は不起訴と決定。10、11日の両日、東京区裁判事の参考尋問を受け、11日午後6時、帰宅を許された」
これらからすると、3月の事件も立件されなかったのだろう。「史談裁判第3集」は「東京区検の中村検事は『悪名にせよ、一世にうたわれた仕立屋銀次を小泥棒並みに扱うのは気の毒だ』と言ってそのまま釈放した」と書いている。
ところが、北條清一の「仕立屋銀次」は、「淀橋署に検挙されて再び獄窓につながれる身となった。昭和6年秋のことで」「銀次の五体も衰えて、再びこの世の人とはなれない最後であった」と獄死をにおわせている。3件目に手を出したということか。あるいは記憶違いか……。いずれにせよ、その後の銀次の消息は伝えられていない。
最初の逮捕から76年経っても記事に名前が…
この間、新聞には時折こんな記事が載った。「銀次の片腕捕はる」「銀次の子分御用」……。銀次のことが忘れ去られても、その名前は伝説となった。
最初の逮捕から76年後の1985年11月12日付東朝にもスリ2人逮捕の記事に「仕立屋銀次の技継ぐ」の見出しが。「サンデー毎日」1928年10月1日号から連載された本田一郎「探偵實(実)話 仕立屋銀次懺悔録」は1930年に「仕立屋銀次」として単行本化されてベストセラーに。
単行本化前の1929年1月には舞台化され、新派や新劇、映画で活躍した俳優・松本泰輔が銀次に扮して東京・上野の公園劇場で上演されて人気を博した。「仕立屋銀次」の内容を見ると、北條清一の著作と重複しており、本田一郎は北條清一のペンネームとみられる。
スリという犯罪と犯罪者はいまも存在するが、銀次の時代のような技術はとっくに過去のものになっている。それでも、仕立屋銀次の名前は長い間、「伝説のスリ」として残った。
一審公判中には、明治天皇の暗殺を計画したとされた「大逆事件」が表面化した。大逆事件と仕立屋銀次事件、性格は全く違うが、どちらも「栄光の明治」の終わりを示し、「大衆の大正」への時代の転換を象徴しているような気がしてならない。
【参考文献】
▽小泉輝三朗「明治犯罪史正談」 大学書房 1956年
▽尾佐竹猛「賭博と掏摸の研究」 総葉社書店 1925年
▽河瀬蘇北「現代之人物観 無遠慮に申上候」 二松堂書店 1917年
▽森長英三郎「史談裁判第3集」 日本評論社 1972年
▽五代夏夫「薩摩問わず語り 上」 葦書房 1986年
▽加太こうじ「『明治』『大正』犯罪史」 現代史出版会 1980年
▽青柳有美「善魔哲学」 文明堂 1902年
▽布施辰治・中西伊之助「審くもの審かれるもの」 自然社 1924年
▽本田一郎「仕立屋銀次」 鹽川書房 1930年