1ページ目から読む
2/2ページ目

 しかし映画の中で、自分と同じ年頃の高校生が原発について深く考えていること、国内外の専門家と対等に会話を交わす姿に雨宮はショックを受けた。

 福井に生まれ育ったはずなのに、自分は原発について漠然と“怖い”という思いしか持っていなかった。映画を見ながら「なぜ怖いのか?」と自分に問うてみても、答えはでなかった。

 それも当然で、原発についてまったく知らない自分に気づいたのだ。一緒に映画を見た今泉らが、学校の教科横断型授業で原発から出る「使用済み核燃料」の地層処分について授業を行うことを知り、その活動に参加するのは必然だった。

ADVERTISEMENT

 原発という課題は、雨宮にとって新しい世界の扉だった。

福井南高校での教科横断授業の様子

 なぜ福井県に原発が数多く建設されたのか。そもそも原発はどんな仕組みで動いているのか。難しい専門用語や難解な語句との格闘は「知りたい」という欲求によって楽しみに変わった。

 しかし知れば知るほど、原発が抱える矛盾の大きさにも直面するようになった。

 とりわけ「使用済核燃料」の処分、管理は大きな問題だった。

「原発を稼働させれば『使用済核燃料』が必ず出る。それを処理する場所さえ確保できていないのに、なぜ稼働させるのか?」

 原発に反対する人々が指摘するこの疑問は、単純にして強烈な問題だ。現在は一時的に青森県六ケ所村にある一時貯蔵施設に保管されているが、収容量には当然限界がある。

「高校時代だけで答えを出す必要はないと思うようになりました」

 その一方で、自分が生まれ育った福井県のインフラが、11基もの原発を導入した莫大な補助金によって整備されていることも知った。自分の生活が、原子力によって支えられていることも思い知った。

 さらに原発の賛成派、反対派の両方の話を聞くことで、双方が感情的になり深刻な対立が生まれていることにも気づいた。

 

 自分が知らなかった原発という世界、矛盾にしか見えないけれど現実だけは進んでいく世界、雨宮にとって、原発問題は知れば知るほど“出口”が見えなくなっていった。けれども、雨宮の思考はその先を探ろうとする。

「高校時代だけで答えを出す必要はないと思うようになりました」

 雨宮は“結論が出ない問題”をいったん現実として受け止めることにしたのだ。

「それらを学ぶのに福井ほどうってつけの場所はない」

 こう心に定めた雨宮が選んだのが、福井県立大学経済学部への進学だった。外界との接触をシャットアウトしていた中学時代。1つの興味が、1つの映画が開いた扉がこんな世界に繋がっているとは、雨宮は考えもしなかった。

 福井南高校を卒業した後も、雨宮は母校の「教科横断型授業」などには必ず顔を出しているという。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。