『俳句ミーツ短歌』(堀田季何 著)笠間書院

 俳句に親しむ私にとって、短歌は気になるお隣だ。作ってみたくはあるけれど、いろいろ勝手が違いそう。俳句は季語が多くを語るが、季語がマストでない短歌だと何をどう詠めばいい? 切れはどこにどう入れる? 難しそうで垣根は高い。

 本書の著者は、俳句と短歌の両方を作るボーダーレスな表現者。私は俳句の専門誌で、著者の文章にときどき接する。古典から外国語の詩歌までカバーする博識と論理性に、タダモノではないと思っていた。

 本書はより広い読者に向けて、俳句と短歌の歴史と特徴をわかりやすく紹介。AI、ジェンダー、災害や疫禍とリアルなど今日的な視点も含む。〈「私」はどこまで「私」なの?〉〈お花畑に生きてませんし〉といった章タイトルはとてもポップ。「俳句や短歌はブームみたいだから興味はあるけど、まだそれほど……」くらいの層もつかまれそうだ。

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 私は俳句について、わかっていたようでよくわかっていなかったモヤモヤがかなりスッキリした。季語と季題、本意と本情、写生と写実、リアルとリアリティなど。整理の仕方に著者の主観が交じるのは〈はじめに〉でことわっているとおり。本とはなべてそういうもの。読み手がそれぞれモヤモヤを解く手がかりとすればいいわけで。

 私が短歌でもっともとまどいそうな、季語がマストでないことは、実は俳句も同じだ。ご存じのとおり、無季の俳句がある。では俳句を俳句たらしめるものは何かとなると「季語的な、切れで活きるキーワード」を著者は第一に挙げる。ここでのキーワードとは、イメージを喚起する力を持つ言葉のこと。短い俳句では、読み手の心を瞬殺するくらい、イメージ喚起力を持つ言葉が必要。最強は季語だが、キーワードになりうる言葉は他にもある、と。有季俳句を学んできた私は、季語以外のキーワードを核とすることに積極的でなかったのだ。

 切れについては、キーワードの直後に置くのが、イメージをもっとも際立たせると、本書で理解。対して短歌における切れは、韻律を整える効果が主らしい。

 お隣を覗きにいって自分のホームもよく見えた感じ。短歌がホームで、そちらから俳句にミートした人にも発見なり再発見を、本書がもたらすものと信じる。

 詠みだけでなく読みについても刺さる指摘があった。短歌や俳句にすでに親しんでいる人も、世代間の感覚の違いや師系を異にすることから「わからない」と言ってしまいがち。でも、あらゆる文学作品の読みは、ひとりひとりに委ねられていると著者。解釈をはなから拒んではもったいない。「わかりづらい」を「わからない」としてしまうのも同様だ。

 もっといろいろな俳句を読み、いろいろな詠みに挑戦したくなる。垣根の向こう側へもいつか越えたい。心の目が楽しく開けていく本だ。

ほったきか/俳人、歌人。俳句で芸術選奨文部科学大臣新人賞、現代俳句協会賞など、短歌で日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞、石川啄木賞を受賞。句集に『亞剌比亞』、『星貌』、『人類の午後』、歌集に『惑亂』。詩歌を中心に多言語多形式で執筆を行う。
 

きしもとようこ/1961年、神奈川県生まれ。エッセイスト。『60代、かろやかに暮らす』『私の俳句入門』など著書多数。