その後、橋本氏と東京大地震研究所の加納靖之准教授と一緒に久保野文書の共同研究をした。研究では同博物館の水松啓太学芸員の協力で、水深の記録は久保野家が測量したものではなく別の村役人が測量した記録を写したものだったことが判明。また、宝永地震前の測量値だと思っていた記録が全く別の時期に測量された可能性も浮上するなど、記録の信ぴょう性を根元から揺るがす事実が次々と分かった。
発見を受け、橋本氏は試しに時間予測モデルを使い30年確率を再計算。「38~90%」と非常に幅広く表さざるを得ないことが導き出された。「要するに、いいかげんすぎて使えないということです」。橋本氏は検討委員だった自身への反省も込め、「せめて30年確率を発表するときに久保野文書を調べるべきだったが、ずさんだった」と述べた。
地震、コロナ禍、原発問題……政策に背景にある科学は適切か?
多少操作されていても、確率が高いことは注意喚起にもなり問題ないのでは――。中部地方出身である私は、当初この問題を報じるべきか迷った。そんなとき北海道地震(2018年)が発生し、考えが変わった。
現場に駆けつけると、一人の男子高校生が倒壊した家の横でうずくまっていた。尋ねると、一歳下の妹の救出を見守っているのだという。
「足が……。妹の足が、見えているんです……」。祖母、父、妹との四人暮らし。男子高校生はたまたま自分の部屋の壁が崩れたことで、外にはい出ることができたが、祖母と父も家の下敷きとなった。
がれきから見つけ出した妹の手帳には見慣れた丸文字で「あしたから学校」と書かれていた。男子高校生は日記を胸に、ガクガクと震えていた。照明と重機を使って捜索は続いたが、地震発生から約17時間後、無言の妹が担架に乗せられて運び出された。
「北海道には地震が来ない」。男子高校生はそう思い込んでいたという。「だって、テレビや新聞では、いつも次に来るのは南海トラフだって……」。そう話し、男子高校生の目から涙があふれた。