「科学的に問題がある」――地震学者たちから批判を集めた南海トラフ地震の確率を計算する「時間予測モデル」。2013年の政府の会議では、地震調査委員長が「地震本部で調査研究する」と言及したが、結局その後も調査は行われなかった。代わりに記者が調べると、当初の70~80%の確率は“破綻している”ことが明らかに……。

 科学ジャーナリスト賞受賞の東京新聞連載を書籍化した新刊『南海トラフ地震の真実』の著者で東京新聞社会部科学班記者・小沢慧一氏が、本書の内容を基にした特別寄稿をお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

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確率の根拠はタンスの中……江戸時代から秘蔵の「久保野文書」とは

 まず、委員の中で最も時間予測モデルに疑問を持っていた京大防災研究所センター長の橋本学教授(現・東京電機大特任教授)に聞いてみた。

「室津港の水深データの原典となったのは1930年に旧東京帝大の今村明恒教授が書いた論文です。今村氏は江戸時代に室津(高知県室戸市)に住んでいた港役人の末裔(まつえい)の久保野という人物に面会しているんです」

 今村氏は久保野家に300年近く伝承された古文書(久保野文書)の中に港の水深データを見つけ、論文で発表した。

「ですが、この論文には港のどこで、いつ、どうやって測量されたかが書いていないんです。時間予測モデルは10センチ単位の詳細な水深データを使っていますが、室津港は大潮と小潮の日で50センチもの差が出ます。この数値にはモデルが成り立たないくらいの誤差があるかもしれません」

 原典を当たるのは記者の基本だ。古文書は今も久保野家の末裔が所有していることを突き止め連絡をした。電話に出たのは今村氏が面会した人物の孫の久保野由起子さんだった。久保野文書が確率の根拠になっていると伝えると、「南海トラフ……。ほー……」と、ピンと来ていない反応をみせた。史料を見せてほしいと頼むと「大丈夫ですよ。うちのタンスで風呂敷に包んでしまってあります」と答えた。

 タンスの中……。仮にも国の防災の指針となる確率の原典だ。博物館で厳重に管理されていると思い込んでいたため、一般家庭のタンスの中に片付けられていたことは予想外だった。だがそれは、今村論文発表後、地震学者や政府関係書が原典を調べていないことのあらわれでもあった。