ーーご親戚は、教義に関しては厳しかったですか。
サニバニ メッチャ厳しかったです。礼拝とか教え込まれたし、コーランは毎日30分読まされる、みたいな。発音の仕方も厳しく教えられて。
でも、その頃は厳しいとはまったく思ってなかった。だから毎日30分のコーランも継続できてたというか。
パキスタンに戻りたくなくて車の中で号泣
ーー中3で日本に帰りますが、これは中学卒業の節目で帰ったということですか?
サニバニ そうです。向こうって9月に終業とか卒業で、夏休みが3ヶ月ぐらいあるんです。で、いつも夏休みは日本に帰って、家族や地元の友達に会ったりして「また来年」と言って別れてたんですよ。逆にパキスタンの友達とも、普通に「バイバイ。またね」みたいなノリで別れていて。
夏休みが終わってパキスタンに戻ろうって、お父さんと一緒に空港に向かってる途中で「もうムリかも」ってなってしまって。
「なんでパキスタンにいるんだろう」「いつまでいるんだろう」っていう疑問が出てきて、その3ヶ月間ずっと悩んでて。でも飛行機のチケット買っちゃったし、お父さんには背けないから言えなくて、車の中でメッチャ泣いちゃって。
そのときに、お父さんがやっとわかってくれて「本当につらかったんだね」みたいな感じで話してくれて。それで「帰ろうか」って、チケットをキャンセルして家に帰りました。
成長するにつれて感じていた“疑問”
ーーパキスタンでの生活のどういった部分に疑問が?
サニバニ 毎年、パキスタンに戻ることに不安があったんですよ。パキスタンにいるときって、孤独だったんですよね。友達もいて、学校も超楽しかったから、なんとか6年も暮らすことができたし、おばあちゃんもお手伝いさんも優しかったけど、お母さんがいない。しかも別の土地で私1人だけっていうので、心は孤独だったんですね。謎の不安と「頑張らなきゃいけない」みたいなプレッシャーもあって、それもしんどくて。
パキスタンに来たばかりのころは、「お父さんに言われたから」で納得できていたけど、大きくなるにつれて意志を持っていくから「あれ? なんでここにいるんだろう」ってなって。このままパキスタンにいたら、現地の誰かと結婚させられてしまうかもとか。向こうってお見合い結婚みたいな感じだから、それは絶対無理って思ったし。
さすがに大学からは日本に帰りたかったけど、「このままだと大学もパキスタンになっちゃいそう」って気もしてて。日本の大学を受けようとしても、日本語を忘れて受からないなんてこともありそうって思って。いろいろ現実的に考えはじめて、お父さんに話した感じですね。
写真=平松市聖/文藝春秋