修羅場と化した明景家
この夜、救援隊が集まる予定になっていた明景安太郎家は、開拓部落では比較的家が広く、地理的にも安全と思われていた。同家には、妻・ヤヨ、長男・力蔵、次男・勇次郎、三男・金蔵、四男・梅吉、長女・ヒサノの6人がいた。主人の安太郎は急用で隣村の鬼鹿に出かけ、留守であった。そこへ川上から避難してきた斉藤石五郎の妻・タケ、三男・巌、四男・春義の3人、さらに用心のためにと、太田家の寄宿人、オドが加わり、全員で10人がいた。石五郎は、すでにそのとき使者として苫前村に向かっていた。この夜、明景ヤヨは同家に集まる予定の20人ほどの救援隊員の夜食作りにかかり、タケは仏前のお供物用の団子作りに余念がなかった。そこへ、三毛別の農夫、宮本由太郎がひょっこり顔を出した。
「これから中川孫一の家に行くところなんだ。今夜は女や子どもが多いから、きっと熊が狙いにくるぞ! さしあたり肥えてうまそうな斉藤の母さんかな」
と宮本は冗談を振りまき、高笑いしながら出ていった。
激しい物音と絶叫が…
異様な騒ぎが遠くから聞こえてきたのはちょうどこの直後だった。通夜をしている太田家をまたまた熊が襲ったのだ。両家の距離は500メートルより離れていなかった。すぐに救援隊員が出動し、残った婦女子たちは騒然となった川上の方を心配しながら薪をくべ続けた。恐ろしさのあまり、誰もオドのそばを離れようとはしない。
「火を絶やすな! どんどん薪をくべろ。火を見せればどんな熊も逃げていく」
熊は火を恐れるという誤った言い伝えが、開拓民の間に信じられていたのである。
一方、太田家の救援に向かった数十人は、すでに熊が逃げたことや、同家にいた人たちのことなきを確かめた。その上で、救援隊は通夜にいた人たちを連れて川下の安全地域に向け、警戒しながら歩きだした。
太田家から避難した人たちは皆、歩きながらも熊はまだ付近に潜んでいる気がしていたという。不思議な予感は当たるもので、そのとき、激しい物音と絶叫が川下の明景家から起こった。巨熊が太田家を襲い損ねてから、わずか十数分後の午後8時50分ころであった。