女性メンバーが放尿したり、不潔すぎてミミズが発生したことも……今では考えられない1980年代の音楽シーンの一部を紹介。当時、伝説のライブハウス「新宿ロフト」が出禁にした「音楽ジャンル」とはいったい?

 ライブハウス「ロフト」創始者である平野悠氏の新刊『1976年の新宿ロフト』(星海社新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

伝説のライブハウス「新宿ロフト」が出禁にしたジャンルとは? 写真はイメージ ©getty

ハードコアパンクの出現とロフトからの追放劇

 一連のパンク・シーンの源流だった東京ロッカーズの躍進に代わり、次にロフトに台頭してきたのはハードコアパンク・バンドだ。

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 ハードコア(hard core)とは、「不良」「チンピラ」といった意味が込められたアメリカの俗語が元になっているらしい。本来は英語で「筋金入りの」「過酷な、厳しい」といった意味の形容詞だ。パンク・ロックから派生した音楽であり、攻撃的な歌詞と性急なビートが特徴。

 ポスト・パンク・シーンにおいてはニュー・ウェイブを筆頭に多彩なサウンドを展開するポップなバンドが現れていたが、これと拮抗する形でほぼ同時期に登場し、オリジナル・パンクの社会批判などの激しい主張、荒々しいサウンドなどをより過激に追求していったバンドを「ハードコア」という言葉で形容したのが始まりだ。つまり、パンクの新たな道を模索する「ニュー・ウェイブ」に対し、オリジナル・パンクのスタイルを頑なに守り、それをより深化させていくこと、「男気溢れる奴ら(筋金入り=ハードコア)」という、相反する意味で名付けられた。

 新宿ロフトでは1981年12月にスターリンがレコ発GIGを行ない、翌82年9月にはガーゼが『消毒GIG 特別編ハードコア・パンクス2DAYS』を開催。ギズム、カムズ、エクスキュート(メンバーは後にガスタンクを結成)ら関東ハードコア四天王と共に、関西からラフィン・ノーズ、マスターベーションらが出演した。

 また、パンクに退廃美とアートの要素を取り入れたポジティブ・パンクもハードコアと連動する形で盛り上がり、オート・モッド、マダム・エドワルダ、サディ・サッズ、アレルギー(ボーカルの宙也はのちにデラックスを結成)らが活躍した。

 これらのバンド群、とりわけハードコア・バンドはビートの異常な速さと攻撃的なエネルギーの爆発という点では評価できたし、ロックにはこういうシーンもあっていいはずだと私もそれなりに面白がって見ていたが、そのステージの乱暴さにはほとほと参ってしまった。

 ライブが始まるやいなや、ステージから客席に向けてビール瓶やドラムのスティックが投げつけられ、客席からもグラスや缶、ビニール傘などが投げ込まれる。演奏など二の次で、バンドもお客も乱闘や混乱を目当てにライブハウスへ来るようになった。