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青森の方に向かい、立ったまま発見された遺体

 2月2日付大阪朝日(大朝)は遺体発見の状況を記している。

「岩の上に倒れたのもあり、川の水に足を浸して死んだ者もあり、付近で発見した遺体は7体に及んだ」「死者が履いた(藁)靴のかかとは大いに擦り切れていた。雪中を無我夢中になって歩いた証拠と見るべきだ。遺体の多くは目を開き、生きているよう。外套は凍って板のごとく、履いた藁靴も固まって石のようで、ナタで切り破らなければ取れない。遺体は皆青森の方に向かい、多くはあおむけか立ち往生の姿。帽子は吹雪に吹き飛ばされたらしく、顔は凍傷のため赤く腫れて見るに忍びない」……。

 1月30日、時事新報は社説「二百餘(余)名の兵士風雪に(たおれ)る」で「不時の天災と諦めざるを得ない」として原因調査と遺族への配慮を要望。都新聞も論説で兵士の犠牲を「戦場の討ち死にと同じ名誉」としつつ、今後の雪中行軍に周到な用意を求めた。河北も31日付でほぼ同趣旨の論説。

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 一方、2月1日の論説では東京日日(東日=現毎日新聞)が「大慘事」、巌手は「嗚呼()の大慘事」の見出しで、いずれも行軍の実施に周到な準備と注意がなされていたかと問い、再発防止を訴えた。

遭難の原因は何だったのか――新聞が指摘した4つの問題

 さらに厳しい見方を示したのは萬朝報と日本。萬朝報は2月5日の「言論」で「凍死事件に對(対)する疑問」と題して「空前の大惨事を生じた上官の措置を疑わないわけにはいかない」として行軍の目的地、実施時期などに疑問を提起。

 2月8日には「五聯隊の責任」で遭難の原因と思われるポイントを列挙した。筆者は「安藤生」となっており、のちに読売新聞政治部長や衆院議員を務める安藤覚と思われる。

遭難の原因と思われる問題点を衝いた萬朝報の「五聯隊の責任」

「道案内が必要だ」という忠告を聞かずに…

〈(1)1月24日は青森では「山の神の日」で古来大暴雪が絶えないのを顧みなかった。

(2)田茂木野に到着した時、農民が出てきて「とても前進できない」といさめたが、隊長らはこれを叱り飛ばして進んだ。田代までは何カ所も危険な個所があるが、携帯した地図は夏季のものだったうえ、将校、兵士も青森出身者が少なく、青森の雪の経験がなかった。

(3)風雪に遭った時、穴を掘って密集し、携帯の食糧、薪炭を頼りに、静かに風がやみ雪が収まるのを待つべきなのに、慌てふためき、うろたえて風雪をついて連日しきりに彷徨し(さまよい)、ついに道に迷うに至ったのは、ほとんど求めて死を急いだのに等しい。

 現に、22日に同時期に切明(現青森県平川市)から十和田、田代を経て青森に到着した弘前第三十一連隊の雪中行軍隊は切明から5人、三本木から7人、道案内を雇い入れたうえ、24日の大風雪の際には雪中に穴を掘って密集し、天候が回復するのを待って無事だったという。五連隊の一部は、沿道の農民らが「道案内が必要だ」と忠告したのに「その方どもは銭が欲しくてそう言うだけだ」と𠮟りつけて取り上げず、雪中密集の方法もとらなかった。これが手落ちでなくて何だ〉

 いずれも問題点を突いていると思われる。