しかし、やがて2020年の6月30日に北京の全人代が香港国家安全維持法(国安法)を施行。香港の言論・集会・結社の自由は事実上剥奪され、香港デモも「強制終了」させられた。
周庭さんと似た立場の男
結果、李文浩は2021年9月に議員資格を放棄して翌月に海外に脱出した。最初は多くの亡命香港人を受け入れているイギリスに渡ったが、やがて仕事の事情もあり台湾に居を移した。
私が最初に李文浩と知り合ったのは2023年1月、亡命香港人が集まる台北市内のバーだった。当時の彼はまだ、香港当局から定期的な出頭を求められており(2023年12月3日に事実上の亡命宣言をおこなう前の周庭氏と似た立場)実名での取材はNGだったが、やがて彼もネットでの体制批判を理由に、2023年12月に香港廉政公署の指名手配リストに載った。
そのため香港に戻る可能性が完全に消え、名前を出して発言できるようになった。ちなみに上記に「頼清徳を応援する気持ち」と書いたが、気持ちだけの話であり、彼も台湾での選挙権は得ていない。
前回は国民党と民進党の支持率が逆転
「前回の2020年の総統選では、蔡英文支持者の集会の現場に(香港デモの象徴である)『光復香港 時代革命』の旗がよく見られました。でも、今回はほとんどないですよね。これは(香港人の海外での反体制的な言動も規制対象とする)国安法の影響もありますが、それだけじゃない。そもそも前回の蔡英文は、香港デモの影響で支持率を上乗せしたはずですが……」
李文浩の言葉はウソではない。前回の台湾総統選は民進党現職の蔡英文が勝ったが 、実は選挙前年の2019年初夏まで、各種の世論調査では対立候補の韓国瑜(国民党)がリードしていた。ところが2019年6月に香港デモが発生し、やがて香港警察の群衆鎮圧が盛んに報じられると、台湾側では中国との親和性が高い国民党の韓国瑜の人気が落ち、支持率が蔡英文と逆転したのだ。
香港の一国二制度は、もともと1980年代初頭の中国が台湾との統一を念頭に作り上げたものである。これは中華人民共和国の主権を受け入れつつ、現地の法制度や経済体制などは従来の枠組みを尊重する(はずの)制度だったが、香港返還からわずか20年余りでそれが実質的に反故にされた事実は、台湾側の不安を煽った。日本における以上に、台湾では香港デモの衝撃が大きかったのだ。