母が新しい恋を始め、娘との間に生まれた“わだかまり”
内田 きょうだいがいないからわからないんですけど、そういうパワーバランスというのは何歳ぐらいから変わるんですか。
小泉 姉も結婚して家庭を築いたり、私も自立したり、2人とも自分の足で人生を歩き始めた頃にはお互いを認め合えていたように思います。
内田 お母様との関係は、3姉妹それぞれ違いましたか。
小泉 長姉は母のことをすごく“お母さん”として慕い、そこに母親の理想像を求めていたんだと思います。両親が離婚し、母が新しい恋を始めた頃から、ゆっくりゆっくり2人が仲悪くなっていったのね。
内田 まあ……。
小泉 見ていて切なかった。すごくお互いを求め合っているのに素直になれない。ずっとそのわだかまりが解けないまま、姉のほうが先に逝ってしまいました。
母は、母自身が自分の母親と悲しい別れ方をしてしまったから、その母親を想って時々泣いたんですよ。次姉はすごく現実的な人だから母にケーキを買ってきたり、どこかに連れて行ってあげたりしていました。私は明け方まで喋ったり、母の悩みを聞いてアドバイスしたり、桃をむいてあげたり、まるで私のほうが母を育てているようでした。
「なぜ別れないでいるの?」と母・樹木希林に問いただした
内田 私はいわゆる優しいお母さんらしいことをしてもらった記憶がありません。母はたまにしか現れない父のことをすごく敬う。思春期になるとそれがなんだか嘘っぽく思えてきた。
怖いから母に反抗まではできなかったけれど、「なぜあんな人とずっと別れないでいるの?」と問いただすことはしたんです。そのとき、対等のひとりの人間として私に応えたのだと思います。「どんなに破天荒でもひとかけら純なものがあるから」と。
母は若い頃の1度目の結婚で穏やかな日常を得て、その日常を5年間続けたら、自分のメラメラと燃えたぎるマグマのようなものをぶつけたくなって、幸せな夫婦関係を解消してしまった。
その後、ブラックホールのような虚無感に襲われたけれど、内田裕也という嵐が向こうからやって来たときに、このカオスのような男を自分の人生に取り込んだら、虚無感に苛まれずに済むのではないかと思った。つまり、母は父を利用したというんです。だから始めたものは続けていこうと、自分に誓ったんでしょうね。
小泉 きっと途中で気づいたんでしょう。自分の罪だと感じたとき、これは貫かなければいけない。手を離したらもっといけないものが残ると思ったのではないでしょうか。
内田 そうですね。私は母に甘えることはできなかったけど、自分の生き方について逃げずに話してくれたということが、私と母との唯一の繋がりだったと思います。