「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。あるいは囚われの身にあると言ってもいいかもしれません。
現在、17人の方がいらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、1人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている」
煌びやかな生活を送っているかのように見える皇室には、実は「人権侵害」が蔓延(はびこ)っているという。さらに、この宮内庁幹部の話は思わぬ方向に広がる。皇族の中で人権侵害を一身に受け続けてきたのが、雅子さまだと語ったのだ。
「1993年に雅子さまは今の天皇と結婚されて皇室に入られたが、当時は、今以上に人権擁護など考えられない組織でした。体調が悪くても『公務に出るのが当たり前』と言われて、無理を押してご臨席され、なかなかお世継ぎが出来なかった時期には、『早く。国民が待っているから』と批判される。これらは人権侵害以外の何ものでもありません。
雅子さまはハーバード大学、東大、外交官という華々しい世界を歩まれてきましたが、突然、皇室に入られた。そこで人権が侵害されている状況を目の当たりにするわけで、雅子さまは、『一体、どうなっているの?』と強い疑問を抱かれたのです。
そんな皇室の環境に馴染めなかったからこそ、『適応障害』と診断されることになった。雅子さまは現在に至るまで、一貫して『皇族は人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃる。ご結婚されてから、ずっと戦い続けてこられたのです」
「何人でも産みたい」
92年、皇太子の「僕が一生全力でお守りしますから」というプロポーズに心を打たれて、雅子さまは結婚を決意された。外交官のキャリアを捨てることに悩まれる雅子さまの背中を押したのも、皇太子の「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも、国のためというのは同じ」という言葉だった。
93年6月9日、曇り空からわずかに陽光が射し込む中で、結婚パレードが執り行われ、沿道には約19万人もの人々が押し掛けた。白色のローブデコルテを身に纏い、オープンカーからお手振りをされる雅子さまは、幸せいっぱいの輝かしい笑みを浮かべていた。
しかし、皇室では「お世継ぎを」と頻りに急かされる過酷な現実が待っていた。宮内庁の幹部たちは、雅子さまのご懐妊を最優先する態勢を敷いた。その背景には天皇皇后のご意向があると言われていた。
マスコミが、お世継ぎを期待する記事を報じるたびに、お二人は記者会見で「コウノトリの機嫌に任せる」と答えざるを得ない。そのうえ、海外訪問も95年の中東訪問以降は、2002年までの8年間、1度もなく、懊悩の日々が続いた。
「雅子さまは一見すると仕事に生きる女性で、皇室でも外交の道でこそ自己実現を望まれていたように思えます。たしかにその面はありますが、皇室にとってのお世継ぎの重要性については、何よりも深く自覚されていましたし、『何人でも産みたい』というご覚悟だったようです。ただ、それでもお二人の間には子供ができなかった。そんな状態が何年も続き、雅子さまは有形無形のプレッシャーに押しつぶされていくのです」(前出・宮内庁担当記者)
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本記事の全文は『文藝春秋』2024年1月号と、『文藝春秋 電子版』に掲載されています(雅子さま還暦「内なる戦いの30年」)。
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