地元の漁師だけではない、港が使えないことによる影響
池澄さんは海士町の刺し網漁師で作る組合の元組合長だ。今も現役の漁師だが、船頭としての役割は一緒に沖に出ている30代の息子に代替わりしている。
息子は「漁を続けたい」と考えている。だが、金沢市でアパートを借りた。美容師の妻も輪島では仕事がなく、金沢で職場を探すのだという。
他にも金沢に部屋を借り、仕事を探している若手漁師がいる。
「港の復興に年数がかかったら、高齢の漁師は廃業してしまいます。違う仕事に就いた若手漁師も戻れなくなってしまう」と、池澄さんは危機感を募らせる。
加えて、池澄さんの家がある地区では、「10軒の家があれば8軒は酷く損壊してしまったような状態です。こうした状況は私の近所だけではありません。被災家屋の解体が進めば、更地ばかりになってしまうでしょう。港の再建に年月がかかる。家もゼロから建て直すとなると、これを機に輪島を離れようという人が増えかねません。とにかく早く港が使えるようにしてほしい」と切実に願う。
港が使えないことによる影響は、地元の漁師だけにとどまらない。
輪島の漁師が滅びるかは、港の再建にかかっている
日本海のスルメイカ漁は季節を追って南から北へ移る。「春イカ」は能登半島沖に漁場が形成される4月からが漁の本番だ。群れを追う漁船が他県から数多く集まる。
奥能登の港には、こうした船が寄港し、水揚げをしたり、燃料や氷の補給をしたりしていた。地元の漁船が多くて停泊する場所がない輪島港では20隻ほどだったが、同じ輪島市内の鹿磯(かいそ)漁港には100隻も立ち寄っていた。
ところが、輪島港には入港すらできない。鹿磯漁港の状態はもっと悪く、岸壁が根元から干上がっている。
他県から集まる漁船はどこに寄港すればいいのか。
石川県漁協の福平専務は「県内では輪島や鹿磯以外の漁港でも被害が大きく、燃料や氷の供給が満足にできません。そこで、今年は金沢港でのみ、隻数を限って寄港を受け入れることにしました。来年からも様子を見ながらという形になります」と話す。
寄港した漁船が補給する燃料や氷だけでなく、仕入れる食料などで経済が回っている部分もあったので、地元船が漁に出られないのとダブルパンチだ。
こうして、あまりに酷いダメージを受けた輪島の港や漁師。どうなっていくのだろう。
「聞かれても、分かりません。俺達の方が知りたい」。池澄さんと上浜さんは口をそろえる。
輪島の漁師が滅びるかどうかは、港の再建への道筋をどれだけ早く示せるかによる。
「国には『本気』を見せてほしい」。2人はうめくように言った。