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 ——今日も宮﨑さんはアトリエにいらっしゃる。筆を執っていない宮﨑さんっていうのが想像できないんですが、今は何をしていらっしゃるんですか?

 鈴木 あのね、パノラマボックスっていうのがありましてね。これは美術館とかジブリパークのほうで展示するものなんですけども、ご承知のように、美術館にせよ、ジブリパークっていうのは息子の宮﨑吾朗君が手がけているんですけれども、彼の発注で、そのパノラマボックスの絵を描き続けていますね。それで映画が終わってからけっこう時間が経つんですけど、2年近く経つんですかね。自分の作ってきた作品を、1個1個それにまとめてますね。それで先般、「君たちはどう生きるか」を、美術館で展示をやったんですけども。その1個がそこに展示してあったと思うんですけれども、今後彼の作ったそのパノラマボックスが、いろんなところに出て行くと思います。その彼の絵は、衰えを知らないですね。この人はものすごい元気なんですよ。なんだか知らないけども、身体はね。たぶんねえ、死ぬ最後の日まで、衰えないんじゃないかなあ。で、たぶん最後の1日で、一気に歳を取る。そんな気がしている毎日です、はい。

映画「君たちはどう生きるか」第3弾ポスター画像 ©2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

一瞬、CGに手を出したこともある

 ——世界中が今、コンピューターグラフィックスでアニメを作ることが全盛という時代にあって、全編手描きにこだわったこの作品がアカデミー賞を取ったことについて。鈴木さんはどんな感想をお持ちですか?

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 鈴木 彼(宮﨑監督)も一瞬ね、コンピューターグラフィックスでやれば「今の労働力が減るのかな」って、それでコンピューターグラフィックスのほうに手を出したこともあるんですよね。ところが彼の思いつくことってね、だいたいコンピューターに向いてないんですね。今回の映画でも、僕はいつもその例を出すんですけども、鳥の中から人間が出てくる……アオサギの中から人間が出てきましたよね、サギ男っていう。あれはね、いちばんコンピューター3Dでは作りにくいんです。だから、彼のやるものはやっぱり手描きでしか作れない。その面白さだっていう気がします。

 ——制作に7年をかけ、費用も莫大だったとお聞きしているんですが、プロデューサー的には回収したというふうに思っていますか。

 鈴木 本当にね、回収できないと僕思ってたんですよ。というのは、ただでさえ、(宮﨑監督は)お金を使うのが得意な人なんで。それをいつもの倍以上の期間をかけて作る。そうしたら、すんごい赤字を生むと同時に、もう1個、僕が心配していたのがね、途中で死んじゃうんじゃないかって。まあ、おかげさまで最後まで作り上げることができて、公開までいたったんですけれども。僕らの想像を超えてお客さんに来ていただいた。で、今回の特徴で言うとね、日本はさることながら、実は海外の興行成績がものすごく良いんですよ。もしかしたら回収できちゃうのかなっていう、そんな気がしております。これはたぶんそうなるね。

 ——宮﨑監督と長くお付き合いされて、こういう歓喜の瞬間にも一緒に立ち会ったということですけれども、鈴木さんにとっての宮﨑さんっていうのは、どういう存在ですか。

 鈴木 46年なんですよねえ。いろんな人に「怖い人」とか色々言われるんですけども僕にとっても、いちばん「一緒にいて楽しい人」。まあ、これは年月のなせるわざですよね、そんなふうに思っています。

会見で第3弾ポスターを披露する鈴木敏夫プロデューサー Ⓒ文藝春秋
受賞の瞬間、歓喜に沸くジブリスタッフのみなさん ©2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

 ——先ほど宮﨑監督は凄く元気だとおっしゃっていましたが、ご本人は対談とかで「目が悪くなってきたりすごく疲れるようになってきたりしている」とおっしゃっていました。作る意欲みたいなのは、鈴木さんから見てどういうところに表れているのか。あとは、やっぱりまた何かを作ってほしいというふうに思っていますか。

 鈴木 目が見えなくなったとかね、手が動かないとかね、僕に言わせりゃあ、大げさなんですよ(笑)。過剰にね、自分のマイナス点を誇示するところがあってね。それは人からの理解を得たいからなんでしょうけれど。そりゃあ老人は大事にしたほうがいい。でも傍から見ていると、イヤんなっちゃうぐらい元気なんですよねえ。まあ、少なくとも僕はそう思いますね。近しい人たちもそう思っています。それで、僕自身、彼に映画を作ってもらいたいのか、っていう話で言うと、僕の本心を言いますとね、これは、あんまり良いことじゃないのかもしれないけれども、もう一度長編映画を作るっていうのはね、そりゃあ簡単じゃないですよ。それで言うと、短編アニメっていうのを、宮﨑は一方では作ってきましたから、そういうものをやってほしい。本人には、今そういう話をしています。