武田記者が「これは何かの導きなのではないか」と感じたワケ
――記事にできるかどうかわからない中での取材となると、交通費などは自費だったのでしょうか。
武田 そうですね、そもそもあんまり上司に相談もしていなかったんですよ。行旅死亡人の身元を取材するなんて、突拍子もなさすぎて、笑い話になるのがオチだろうという気もしていたので。なので普段の仕事も抱えつつ、広島へは休日に行っていました。1回の出張で、新大阪ー広島の新幹線の往復チケット代が約2万円と、レンタカー代や宿泊費などがかかりましたね。
伊藤 2人とも、お金のことは度外視していたかもしれません。それより興味の方が強かったというか、たとえ何もわからないまま終わっても、ある種の旅行だと思えばそれで……くらいの気持ちでいたら、次々と手がかりが見つかったという感じです。
――では取材自体は結構、順調に進んだという印象ですか。
武田 そうですね。こういう取材ってうまくいかない方が多いんですよ。しかも広島に滞在できる時間はかなり限られる中、トントン拍子に進んで、訪問するたびにつながりのある人が見つかって。こういったケースは僕の中では実に珍しかったので、どこかで「これは何かの導きなのではないか」と思うような部分もありました。
伊藤 まるで探偵になったような気分でした、記者というより探偵ですね(笑)。
千津子さんが存在していたことを証明したくなった
――探偵の方ですらたどり着けなかったところにたどり着かれましたものね。途中で、諦めようと思ったことはありませんでしたか。
伊藤 やめようという話は一度も出たことがないですね。かと言ってそれが執念だったかと問われると少し違って。私たちの個人的な関心や、興味がすごく強かったんだと思います。
武田 官報を見ただけでは感じられなかったリアリティというか。僕らはご遺体を拝見したわけでもないので、千津子さんの存在自体、一種の情報として認識していたにすぎないわけです。
ところが、取材するにつれて、そうしたひとつひとつの情報がパズルみたいにパチパチとはまっていき、おぼろげながら輪郭を描くことができるようになりました。「本当に生きていたんだ」という感覚が増していくような感じがしましたね。
そうすると、さらに千津子さんが存在していたことを証明したくなってきたと言いますか……さらに知りたくなっていったというのが、当時の思いに近いかもしれません。最終的に幼少期まで人生を遡ることで、「ああ、本当にここに存在していて、ここで生まれたんだ」というのが実感できるようになりました。
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