ネパール人の貧困を固定する装置になったカレー屋
それでも耐え忍んで働き続け、数年たったある日、こんなことを通告されるコックもいるのだという。
「ビザが更新できなくなったからクビ。とつぜん言われて、あとは自分で店を探せって」
代わりに経営者は違う人間をネパールからコックとして呼ぶ。もちろんお金を取って、だ。こうして定期的に人材を回転させることで、一定のお金が供給される仕組みをつくり上げたのだ。だがコックにしてはたまったもんじゃない。
「カレー屋はネパールの貧困を固定化する装置になっているんですよ」
それでも、なのだ。
こんなリスクや理不尽を負ってでも、ネパールを出たい。どんな形でもなんの仕事でもいいから、外国で稼ぎたい。そんな人たちがたくさんいる。一般的に貧しいとされる国に生まれ育ち、なおかつグローバル化とデジタル社会によって他国の生活を知ってしまった立場でないとわからない「お金」への強い渇望感が、彼らを突き動かしている。
「海外に出ないと豊かになれない」ネパール人の切実な思い
日本人や、かつて日本にカレーを伝えたインド人たちは、食文化を広めたり自己実現のために料理を生業としたのだろうが、いまの「インネパ」は違う。料理は生き抜くため、稼ぐための手段なのだ。たまたま自分のまわりに日本のカレー屋へのツテを持つ人がいたからコックになったに過ぎない。
それがマレーシアの建設業だったらそちらを選んでいたかもしれない。とにかく海外に出ないと、豊かになれない。ネパール人たちのそんな切実な思いが、日本のカレー屋大繁殖につながっていった。
だからブローカーの存在も一概に否定はできない。豊かさへのきっかけを与えてくれる存在でもあるからだ。はじめはコックとして搾取されながらもだんだんと要領を覚え日本になじみ、独立して成功する人も確かにいるのだ。
