私は20代の頃、インターネットや広告の世界で働いていましたから、バズらせることや、大きな声で宣伝する仕事を任されることも多かった。PV数や、メディア掲載数が評価指標にある世界に身を置きながら、アイデンティティを見失いそうになってしまう瞬間も度々ありました。でも今いるここが世界のすべてではない――小さな声でしか伝えられないものごとがあるはずだと、心を支え続けてくれた言葉です。
――真逆のアプローチ法の話は、目からウロコですね。
「耳を傾ける」側にもスキルがいる
塩谷 小さな声に耳を澄ませる中で気づいたのは、耳を傾ける側にもスキルが必要だということ。ささやかな変化に気がつけるだけの感受性であったり、相手の文化背景にまつわる知識であったり……そうした感性や知性をしっかり育てておかなければ、小さな声を読み解くことは難しいのだな、と。
私の生まれ育った大阪の千里ニュータウンには、正置友子さんという絵本研究者の方がひらいた私設文庫があるんです。正置さんはまさに、小さな声の翻訳家。感性はもちろん、様々な分野への深い造詣をも併せ持ち、絵本という身近な芸術を深く読み解かれている。子育てが一段落した50代になってからイギリスの大学院に留学し、道を開拓していったそのキャリアにも、同じ女性として大いにエンパワメントされています。
正置さんの足跡に比べたら、私はまだほんの入口にたったばかりで、そうした意味では本書もまた「目覚めの本」と呼べるかもしれませんが……。でも3年の歳月をかけて大切に綴ったこの本が、他者の声に耳を澄ませる豊かさを伝えられたならば、これほど嬉しいことはありません。
塩谷 舞(しおたに・まい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。文芸誌をはじめ各誌に寄稿、note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。総フォロワー数15万人を超えるSNSでは、ライフスタイルから社会に対する問題提起まで、独自の視点が人気を博す。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)。