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「この3年があったからこそ少しはまともになれた気もする」

ーーさんまさんが1992年から2014年に年1回のペースで主催していたコントライブ『明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ』がありますけど、暗黒期の内山さんも出演されていますよね。

内山 16歳だった1997年の回から2014年の回まで呼んでもらいました。15歳で仕事がなくなった時に、96年の回を見に行ったんです。楽屋でさんまさんに挨拶して、「良かったら、10年後に僕も出してください」って冗談で行ったんですよ。「10年後なんて、まだまだ早いわ」なんて言われたんですけど、その次の年から呼んでくれて。

ーーそれは沁みますね。

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内山 16歳から18歳までの3年間って、芸能界の仕事らしい仕事がほとんどなかったんですよ。あっても、「あの人は今」的なもので。だから、本当にさんまさんとのコントが唯一の仕事って感じがして、そのおかげで芸能界にしがみつくことができたんですね。

©松本輝一 /文藝春秋

ーーさんまさん、気に掛けてくれていたんでしょうね。

内山 呼んでくれたってことは、そうなんじゃないですかね。さんまさんなんで、誰だって声を掛けられたら出てくれるし、それこそ吉本の若手だって出たい人なんていっぱいいるでしょう。そんななかで、声を掛けてくれたっていう。しかも、それまで舞台なんてやったことがないなにも知らない状態だったわけですから、なおさらですよね。

『今回もコントだけ』に出してもらっているうちに、19歳から『debuya』(テレビ東京・2000~2003年)に呼ばれて。21歳で『ごくせん』(日本テレビ・2002年・2005年・2008年)に出て、22歳で『元祖!でぶや』(テレビ東京・2003~2008年)の準レギュラーになって。なんとかこうして戻ることができたっていう。

 この時期のことって、皆さん知らないですよね。だから、順風満帆だったように思われてたりするんですよ。本当は学校にも行ってなかったし、「お仕事ください」って状態でしたけど、この3年があったからこそ少しはまともになれた気もするし。

©松本輝一 /文藝春秋

ーー小学校を含めて、学校に通うのはなかなか難しかったと思いますが。そのあたりを悔やんでたりは。

内山 小学校は、もうすこし通っときゃよかったかなと思います。中学校は、仕事じゃなくても自分的に行かなかったりもあったんでね。

 ただ、学校のエピソードとかはやっぱり薄いんですよね。誰かから「小学校の時さ、◯◯あったじゃん」とか振られてもピンとこないことが多いんです。運動会なんて、小中を通じて2回しか出たことないかな。

ーーちなみに、現在のお父さんって。

内山 亡くなりました。

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