78年、キャメロンは同棲していたシャロンと正式に結婚した。「仕事」が必要だ。キャメロンはニューワールド・ピクチャーズを訪ねた。コッポラ、スコセッシ、ジョー・ダンテなど若い映画作家たちを育ててきたロジャー・コーマンの経営する独立プロだ。キャメロンはコーマンに「僕は特撮のエキスパートです」とハッタリをかまし、『スター・ウォーズ』ブームをあてこんだSF映画『宇宙の7人』(80年)のスタッフに雇われた。
そこで彼は、2番目の妻となるゲイル・アン・ハードに会ってしまった。
メカのデザインから撮影・編集まで一人でこなす
ゲイル・アン・ハードは大学を出た後、コーマン門下に入り、『モンスター・パニック』(80年)の現場でアシスタント・プロデューサーをさせられていた。
「半魚人が裸の女性を襲ういやらしいシーンの撮影だったんで見てられなくて、セットから逃げ出したら、せっせとミニチュアを作ってる男の子を見たの。ジムだったわ」
しかしキャメロンはただのミニチュア職人ではなかった。メカを自分でデザインし、イメージボードを描き、マットペインティングまで描き、フロントプロジェクションで撮影し、編集する。すべてを一人でコントロールできた。
キャメロンとゲイル・アン・ハードは「いつか他人の映画の下働きじゃなくて、自分たちの映画を作るんだ」と夢を語り合い、そのうちにどんどん親密になっていった。キャメロンはコーマンのスタジオのあるヴェニス・ビーチにアパートを借り、そこに寝泊りすることが多くなった。
監督第一作は「何もかも最低だった」
『宇宙の7人』の次に、キャメロンは『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』(81年)の特撮を任された。切られた腕に蛆(うじ)がたかるシーンの撮影は今や伝説になっている。キャメロンは蛆では小さすぎるので代わりにミミズを使ったが、思ったように蠢(うごめ)かなかった。そこでミミズに電気を流した。「スタート!」でカメラが回るとミミズがのたうって、「カット!」の声で止まった。