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シュワルツェネッガー主演は想定外だった…低予算映画『ターミネーター』大ヒットの意外な背景 町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』より

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genre : エンタメ, 映画

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AF Archive/Orion Pict/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ 『ターミネーター』(1984)主演:アーノルド・シュワルツェネッガー、監督:ジェームズ・キャメロン(=1984年10月26日) - AF Archive/Orion Pict/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ

78年、キャメロンは同棲していたシャロンと正式に結婚した。「仕事」が必要だ。キャメロンはニューワールド・ピクチャーズを訪ねた。コッポラ、スコセッシ、ジョー・ダンテなど若い映画作家たちを育ててきたロジャー・コーマンの経営する独立プロだ。キャメロンはコーマンに「僕は特撮のエキスパートです」とハッタリをかまし、『スター・ウォーズ』ブームをあてこんだSF映画『宇宙の7人』(80年)のスタッフに雇われた。

そこで彼は、2番目の妻となるゲイル・アン・ハードに会ってしまった。

メカのデザインから撮影・編集まで一人でこなす

ゲイル・アン・ハードは大学を出た後、コーマン門下に入り、『モンスター・パニック』(80年)の現場でアシスタント・プロデューサーをさせられていた。

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「半魚人が裸の女性を襲ういやらしいシーンの撮影だったんで見てられなくて、セットから逃げ出したら、せっせとミニチュアを作ってる男の子を見たの。ジムだったわ」

しかしキャメロンはただのミニチュア職人ではなかった。メカを自分でデザインし、イメージボードを描き、マットペインティングまで描き、フロントプロジェクションで撮影し、編集する。すべてを一人でコントロールできた。

キャメロンとゲイル・アン・ハードは「いつか他人の映画の下働きじゃなくて、自分たちの映画を作るんだ」と夢を語り合い、そのうちにどんどん親密になっていった。キャメロンはコーマンのスタジオのあるヴェニス・ビーチにアパートを借り、そこに寝泊りすることが多くなった。

監督第一作は「何もかも最低だった」

『宇宙の7人』の次に、キャメロンは『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』(81年)の特撮を任された。切られた腕に蛆(うじ)がたかるシーンの撮影は今や伝説になっている。キャメロンは蛆では小さすぎるので代わりにミミズを使ったが、思ったように蠢(うごめ)かなかった。そこでミミズに電気を流した。「スタート!」でカメラが回るとミミズがのたうって、「カット!」の声で止まった。