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「シナリオを買いたい」という依頼が殺到

シナリオを書くキャメロンの相談相手となり、励まし続けたのはゲイル・アン・ハードだった。キャメロンは書き上げた『ターミネーター』の権利をたった1ドルで彼女に譲った。このシナリオを決してキャメロン以外の誰にも監督させないという約束と引き換えに。それはまた、彼女への愛の証(あかし)でもあった。

『ターミネーター』のシナリオはたちまちハリウッド中の噂になった。数々の映画会社がキャメロンを訪れてシナリオを買おうとした。一文無しのキャメロンは喉から手が出るほど金が欲しかったが、断った。どこも『殺人魚フライングキラー』なる駄作以外に実績のないキャメロンに監督をさせたがらなかったからだ。

一躍、人気脚本家となり有名作を手掛ける

唯一、イギリス出身の若いプロデューサー、ジョン・デイリーが立ち上げたヘムデイル社だけが、キャメロン監督、ゲイル・アン・ハード製作という条件を吞んだ。さらにオライオン映画も出資することになった。

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オライオンはユナイテッド・アーチストのエグゼクティヴを辞めたマイク・メダヴォイとアーサー・クリムが78年に立ち上げた新興スタジオ(ユナイテッドは80年に『天国の門』で崩壊する)で、アン・ハードとコーマン学校で同期だったプロデューサーが働いていた。予算は640万ドルと低予算だったが、キャメロンは自分の映画が撮れることになった。

『ターミネーター』の評判のおかげで、キャメロンのもとにはシナリオの依頼が殺到した。なかでも高額の脚本料を提示したのは『ランボー』(82年)、そして『エイリアン』(79年)という二大ヒット作の続編だった。金のためにキャメロンはこの二つを引き受けた。昼間は『ターミネーター』の製作準備、夜は『ランボー2』と『エイリアン2』を同時に書いて、キャメロンは一睡もしないで働いた。

『ターミネーター』の撮影に入る84年、キャメロンは、ずっと彼を待ち続けていたシャロンと正式に離婚した。キャメロンは「すべて僕が悪いから、どんな償いもする」と言ったが、シャロンは断り、形式的にたった1200ドルだけ受け取った。