市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも、「100%満足はできないけれど、他の候補者に比べれば、多少はマシ」な政治家を選ぶことです。

 これらのことがわかっていれば、「良い候補者がいない」からといって、白票を出したり、棄権したりするといった誤った結論には至らないのです。

 政府と市民は、対立するものではありません。政府は市民がつくるものなので、今の政府が気に入らなければ、選挙に行って政府をゼロからつくり直せばいい。そして、新しいルールをつくればいい。政治を変えるのは自分たちの1票であることを小学校や中学校で教える必要があるのです。

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写真はイメージ ©AFLO

低い投票率は「改革できない社会」をつくる

 どのような社会でも、政府からお金(補助金など)をもらっている人(既得権益者)が全体の20%ぐらいはいるそうです。一般に彼らは後援会をつくって政権与党に必ず1票を入れます。なぜならそれが既得権を守ることにつながるからです。

 わが国のように、投票率が50%ぐらいだと政権与党が圧倒的に有利になります。100票のうち既に20票を押さえているわけですから、あと5票取れば過半数に達します。新人は25票取らなければ勝てません。その差は実に5倍です。これでは新人の参入意欲がわかないでしょう。

 その結果、わが国では世襲議員が5割を超える異常事態を招いています(G7では世襲議員が1割を超える国はないといわれています)。後援会に推された世襲議員が改革を行うはずはありません。だからわが国は「改革できない」社会となっているのです。

 一方、投票率の高いヨーロッパの先進国並みに80%に上がったと仮定してみましょう。政権与党の候補者はあと20票上積みする必要があります。新人は40票取る必要がありますが、2人の差は2倍です。2倍なら、「頑張ってみよう!」という新人候補者が出てくるかもしれません。

 つまり、投票率が上がれば政治に新しい血が導入される可能性が高くなるのです。わが国でも、明治時代は投票率が9割を超えることも珍しくはありませんでした。改革が進まないのは投票率が低く、政治に新しい血が入らないことが根本的な要因です。

 50%のケースと、80%のケースの違いは、是非学校でも教えるべき重要なポイントだと思います。