「白票や棄権は、現在の政治を信任することと同じ」というファクト
日本の投票率が低いのは、政治や選挙に関するリテラシーが低いからです。
たとえば、国政選挙の投票日に、「選挙に行っても世の中が変わる感じがしない」「ロクな候補者がいないから、投票には行く気がしない」などと無関心を口にする人こそ、率先して選挙に行くべきです。
なぜなら、「世の中が変わる感じがしない」と不満を抱くのは、「今の政治は良くない」と思っているからです。「世の中が変わる感じがしない」のなら、そこであきらめるのではなく、政府をつくり直す努力をするべきです。
日本のメディアは、「棄権が増えるのは、政治不信が増しているからです」といった論調ですが、僕の考えは違います。
かつてロンドンに住んでいたときに、次のような話を聞きました。題して、「選挙の仕方」。
(1)選挙では、必ず事前予想が出る(ロンドンっ子は、お金を賭けていますね)
(2)その予想通りで満足なら、3つの方法がある。投票に行ってその名前を書く、白票を出す、棄権する。この3つの方法のどれを採っても結果は同じになる
(3)事前予想に不満なら、あなたの意思表示の方法はたった1つしかない。投票に行って違う名前を書くことである
(4)以上が、選挙の仕方のすべてである
僕は、こういったシンプルな知恵を子どもたちに学校で教えるべきだと思います。
「ロクな候補者がいないから投票には行く気がしない」と考える人は、前提(「候補者は立派な人ばかりであるはず」)が根本から間違っています。そもそも選挙は、「より良い人」を選ぶための制度ではありません。100年以上前の話ですが、英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルが、次のように明言しています。
「自分を含めて選挙に立候補するのは、目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人など、ろくでもない人ばかりである」
「選挙というのは、こういった信用のおけない人たちの中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐のことである」
「したがって、民主政は最低の政治形態である。ただし、これまで試されてきた王政や貴族政など過去の政治制度を除けば」
こういうリアリズムが理解できれば、投票は簡単です。女性議員が少ないのなら、女性の候補者に投票すればいい。若い議員が少ないのなら、若い候補者に投票すればいい。