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東京五輪までは「世代3番手」という扱いを受けていたが

 ただ平野と同じ24歳でチーム最年長とはいえ、早田自身もオリンピックは初めての出場だ。2021年の東京五輪では、早田はリザーブとして石川佳純(31)、伊藤美誠(23)、平野美宇の3人をサポートしていたが、出場機会は訪れなかった。

 伊藤、平野、早田の3人は同世代。それを年長の石川が引っ張るのがチームの形だった。

東京五輪には、石川佳純という絶対的な中心選手がいた ©JMPA

 もともと早田は、小さい頃から石川に憧れていた。早田が小学生の頃、石川のサイン会に並んで自分の番が来ると、どちらも左利きということで左手で握手してもらったこともあるという。中学生になり初めて練習で石川と一緒になったときには「(石川の)キレイなフォームに感動して見惚れていました」と憧れを隠さなかった。

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 やがて早田が成長して日本代表に選ばれるようになり、石川と一緒に海外を転戦するようになっても、早田にとって石川は目標であり続けた。東京五輪でも、福原愛が去り最年長になった石川が、チームに安心感をもたらす姿が目に焼き付いていたという。

 石川のようになりたい。早田はそう思った。

 東京五輪までは平野、伊藤に次ぐ「世代3番手」という扱いを受けていたが、パリへ向けた日本代表選考レースが始まると、早田は圧倒的な強さでトップを独走。代表が確定するまで一度も1位を譲らなかった。石川佳純が引退したチームのエースになるためには、まずは絶対的な強さを備えることが大切だった。

早田ひな ©JMPA

 早田は選考レース中から、オリンピックに出ることを目標とするのではなく、オリンピックで金メダルを獲れる選手になることを目標にしていた。最大のライバルである中国人選手と互角以上に戦うためには、日本で抜きんでた選手になる必要があった。激しい代表争いで同世代の平野や伊藤が調子の波に苦しむ中、早田は常に安定したメンタルでトップを独走したのだ。

 2022年頃には世代内の序列は塗り替わり、早田が日本のエースであることは暗黙の了解になっていった。今年2月の世界選手権団体戦では、プレーも振舞いも完全にエースの空気をまとうようになっていた。