葬儀場がない青ヶ島の葬式事情とは?
また、島内には葬儀場もないから、お葬式は遺族の自宅であげるのが基本です。お坊さんもいないので、お経は自分たちであげます。
昔はお葬式のときに全島民が集まって、みんなで青ヶ島独自のお経「念仏(ねぷつ)」をあげていたそうです。今は、青ヶ島の郷土芸能を継承する「青ヶ島郷土芸能保存会」に所属している島民に念仏をあげてもらいます。
四十九日を迎えるまで、7日ごとに故人の自宅に島民が集まって、念仏をあげる文化もあります。お骨をお墓に入れるのは、それが終わってからです。もちろん、納骨も島民で行います。仏事は島民同士で協力して執り行うのです。
かつて活躍していた青ヶ島の「社人」や「巫女」
青ヶ島で行われる地鎮祭などの神事に関しては、現村長の佐々木宏さんが取り仕切ってくれています。今の青ヶ島には、神事を司る「社人(しゃにん)」や「巫女」がいないから、村長が代わりにやってくれているのです。
私が生まれる前の青ヶ島には、神からお告げを受けて“目覚めた”社人や巫女がいて、神事を取り仕切ってくれていたそう。私のひいおばあちゃんは巫女だったと聞いています。
断崖絶壁に囲まれ「絶海の孤島」とも呼ばれる青ヶ島では、かつて、海難事故や自然災害で島民が亡くなることも少なくなかったそうです。その当時は、ヘリコプターなんて便利な移動手段はなく、連絡船は月に数本程度だったため、天候が荒れるとその数少ない連絡船すらストップしてしまう。その結果、島に物資が届かず、島民が飢えに苦しむこともあったと言われています。
そんなときに活躍していたのが、社人や巫女。彼ら彼女らは、お告げや予知夢で天気を予想したり、神頼みのために踊ったりしたそうです。私の母は巫女の踊りを見たことがあるのですが、「『人間にこんな動きができるの?』と思うような舞いをしていて、何かが憑依しているような感じで怖かった」と言っていました。