思わず「おお~っ」と声を上げたのは、アルバム『ジャミング・ウィズ・エドワード』が紹介された場面だ。エドワードはニッキーのあだ名。ストーンズの名盤『レット・イット・ブリード』を録音する際、キースがへそを曲げてスタジオを出ていってしまった。残されたメンバーが、スタジオにいたニッキーとライ・クーダーとともに行ったジャムセッションだ。遊び半分でユル~く演奏しているところがかえってレア感がある。ニッキーのピアノがミックのブルースハープと絶妙に絡み合い、高校生のころから大好きだった。でも、なぜニッキーのあだ名がエドワードなんだ? そこが謎だったが、理由を本人が語っている。バンド経験があればなるほどとうなずくだろう。貴重な“特ダネ”証言をぜひ映画で確認してほしい。
難病に制約されたアーティストとしての活躍
ニッキーは音楽活動初期の若い頃からクローン病という持病に悩まされてきた。安倍元首相の潰瘍性大腸炎に似ているが、大腸だけでなく消化器全体に炎症が起きうる。原因不明で根本的な治療法がなく、消化器の一部を切除する手術を繰り返した。圧倒的な才能に恵まれながら、ソロアーティストとしての活躍は難病により制約された。縁の下の力持ちに徹していたが、日の当たる場面もあった。アート・ガーファンクルがロイヤル・アルバート・ホールで行ったコンサートで休憩に入る際、ピアノで参加していたニッキーをこんな具合に紹介したのだ。
「伝説のニッキー・ホプキンズが自作の曲を弾きます」
そこで彼は『The Homecoming』という曲を披露した。アメリカから故郷イギリスに戻った際の喜びを表している。仲良しだったアートの厚意だったのだろう。
1994年1月17日、ニッキーが滞在中のロサンゼルスを巨大地震が襲う。阪神・淡路大震災のちょうど1年前だ。相当なストレスだったに違いない。転居後、叫び声をあげるほどの耐え難い痛みの発作で救急搬送され、入院中にこの世を去る。享年50。
ニッキーは生前、自分は“ショパンの生まれ変わり”だと周囲に語っていた。ショパンの曲をよく聴き、ピアノで弾いていた。
目立ち過ぎずバンドによく馴染む天才セッション・ピアニスト、ニッキー・ホプキンズ。その才能を、共演した数多のロックスターたちの愛あふれる証言とともに味わう作品だ。
『セッションマン:ニッキー・ホプキンズ ローリング・ストーンズに愛された男』
監督・脚本・製作/マイケル・トゥーリン/2023年/イギリス/87分/配給:NEGA/©THE SESSION MAN LIMITED 2024/9月6日(金)より、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開