日中友好企業「友好商社」がキーだった
自分の子どもを失ってから48時間以内に、前日の外交部記者会見と内容が一致した感動的な名文を中国語で発表し、妻に対する心のケアよりも事件が日中関係に与える政治的影響への心配を発信する日本人の商社マンと、その心情をくんで文書の拡散に実質的に協力したであろう日本人上司──。一般の日本人の感覚では、ちょっと理解が難しい存在かもしれない。
ならば、彼らは果たしてどのような人たちなのか。答えのキーは、彼らの勤務先である専門商社・N社の性質だ。1961年に創業したN社は、かつては「友好商社」と称された存在で、日中間において政治的に極めて特殊なバックグラウンドを持つ会社である(一部の台湾メディアはすでに社名を公表している)。
往年、日本と中国(中華人民共和国)の国交が存在せず、中国が教条的な社会主義経済を採用していた1960年代、日中両国は民間でごく限られた貿易関係を結んでいた。この際、中国側が「日中友好」の方針に合致する(=中国共産党の政治的方針に従順である)と認めて、独占的な貿易を許した日本側の商社が友好商社だ。
当時の友好商社には、双日や伊藤忠のように総合商社がその友好的性質を認めてもらう例もあったが、なかには「日中友好」の強い信念を持つ人物が、もっぱら中国との経済を通じた友好関係の構築を目的として専門商社を設立する例もあった。今回の被害児童の父親の勤務先であるN社も、まさにそうした友好商社が現代まで続いた存在だ。
すなわち、文化大革命や天安門事件が起きても、単なるビジネス上の利害関係をこえて中国政府に寄り添うという「日中友好」の方針を堅持してきた組織である。N社は専門商社としての顔があるいっぽうで、本来の組織風土としては日中友好協会や日中友好議員連盟、国際貿易促進協会などの、伝統的な日中友好7団体と近しい性質を持っている(なお、N社の名誉会長は国際貿易促進協会の現在の常任理事だ)。
高い文章力を獲得するのは不可能ではない
当該の文書のなかで、被害児童の父親は自身の「主たる職務」を「日中双方の認識の差異を埋め、円滑なコミュニケーションを促進すること」と述べていた。通常の商業活動よりも日中交流を重視しているようにも読める言説は、商社マンの言葉としては奇妙なのだが、日中友好団体のなかば職員のような立場からの言葉とすれば自然だ。