『草薙の剣』(橋本治 著)

 花粉症について考えると不思議な気持ちになる。花粉アレルギーの人が二〇〇〇年あたりから急増したのは、偶然でも突発的なことでもなくて、戦後から高度成長期までさかのぼったところに発端がある。でもその発端の前にさらに敗戦という前提がある。さかのぼれば、かかわりながらものごとはどんどんつながっていく。歴史とは、あるいは時代とはそういうもので、私たちが生きているのはいつも、その線の先だ。

 小説『草薙の剣』は、そんなようなことを、壮大な枠組みで、綿密な連鎖として描いている。小説に登場するのは六十二歳から十二歳まで、十ずつ年齢の異なる六人の男と、彼らの両親、祖父母、配偶者、子どもたちである。国家の中枢をになう人や、天才的な詐欺師や、聖人や極悪人は登場しない。私やあなたとよく似た、善良で勤勉で、同時に怠惰で臆病な人間たちが描かれる。しかしながら、彼らを軸に、背景として時代が描かれるのではなく、時代が主人公として描かれ、その背景のように彼らが点在するところがこの小説のユニークな特色だ。

 本書でもっとも古い時代の記憶を持つのは、大正生まれの男だ。召集された彼は終戦後に故郷に帰って所帯を持つ。新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、学生運動がはじまり、時代は物理的ゆたかさに向けてまっしぐらに進んでいく。だれもが知る昭和・平成のできごとが、登場人物たちの出生や成長のなかに折り重なるようにして描かれていく。そうして読んでいると、この国やある現象に対して、前々からうっすらと抱いていた疑問が、かたちを持って浮かび上がり、同時に、「だからなのか!」と回答を得たような気持ちになる。ひとつの世代は突如あらわれたのではなく、前の世代を複雑に引き継いでいる。登場人物たちが、その世代そのものを体現して見せてくれる。彼らの生きる日々でその回答を見せてくれるのだ。

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 やがて時代の進行とともに、ひとりの人間のありようは、そんなふうにその世代そのものの代表ではなくなる。政治や事件の受け取りかたも影響のされかたも、多様化し細分化していく。メインカルチャーがなくなり、現在の人々の趣味嗜好が無限に多様化していったのと似ている。

 とはいえこの小説は時代の解説もしていないし、登場人物に世代の代表を担わせてもいない。けれども読んでいると見えてしまう。ごくふつうの人たちが、その日そのとき、よかれと思って暮らしている、それだけで何かが決定され何かが変化していく、私もよく知っている時代というものが、生々しく見えてくる。さらには、この国に暮らす人間にとって何が「よかれ」なのか、という重要なことも、小説はさらりと問いかけてくる。不幸から遠ざかることだろうか? 理解できないものは忘れることだろうか?

 こんなにも多くの人を花粉症にしようと思って、杉や檜が大量植林されたわけではない。ただ昔、ともかく今の問題をなんとかしよう、と思い決行した人たちがいるだけだ。この小説を読んだあと、私はずっとこのことを考え続けている。二十年、五十年、もっと先のことはわからないから考えない、ともかく目先の問題を解決するという、半世紀以上も前の考えのもとに今も私たちは生きていないだろうか。それこそが幸福であると未だ信じていないだろうか。

 じつにリアリティのある、だからこそ興奮もし、ときに恐怖すら覚える、橋本治版戦後史である。

草薙の剣

橋本 治(著)

新潮社
2018年3月30日 発売

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