2012年、巨人はセ・リーグ優勝、日本シリーズ優勝、アジアシリーズ優勝と黄金の年を迎えた。そうした栄光には、当時の巨人代表、現ノンフィクション作家の清武英利氏も携わった球団内の人事が影響していたという。前年の2011年11月当時の混乱を振り返る。
◆◆◆
2012年人事案の混乱
渡邉恒雄が「君たちの言うことは聞かんぞ。俺は最後の独裁者なんだ!」と私に怒鳴って、巨人のコーチ人事をひっくり返すと言い出したのは11月4日の夜のことである。その情報は翌日、一軍選手とコーチ、それに選手が集まるジャイアンツ球場に伝わり、混乱が始まっていた。
前回も記したが、10月20日に渡邉に報告した人事方針や補強策に基づき、巨人の全日程(クライマックスシリーズ=CS第1ステージ)が終了した同31日夜から、留任するヘッドコーチの岡崎郁(かおる)を始め、一、二軍のコーチたちと面談して人事通達や契約を進めていた。もちろん桃井恒和(オーナー兼社長)や監督に相談のうえでのことである。
契約したコーチに加え、持ち場変更を通達したり、退団通告をしたりしたコーチ数は4日時点で約20人に上り、記者会見で抱負を述べた新任コーチもいた。2012年の指導陣の骨組みはほぼ出来上がっていたのである。
その中には元ヤクルト監督である野村克也の門下生3人をコーチに据える人事も含まれていた。それが一軍戦略コーチに就く橋上秀樹(元楽天ヘッドコーチ)であり、一軍バッテリーコーチの秦真司(元中日一軍捕手コーチ)であり、二軍打撃コーチの荒井幸雄であった。