3年4カ月ぶりの最後の面会
面会室の向こうの扉が開かれ、白髪を肩の下まで伸ばした小柄な老女が姿を現したのだ。当時彼女は74歳だが、それよりも老けている印象だった。白地に青と赤の花柄の入ったシャツに、水色の膝丈ズボン。マスク姿の彼女は、まず目の前のアクリル板越しに声を張り上げた。
「あのねえ、私、耳が遠いやろ、やから話すときは声をワントーン大きくして。そうやないと聞こえんから」
挨拶よりもまず、その言葉だった。それならばと私は、千佐子に最後の挨拶に伺ったことを伝えた。すると彼女は表情も変えず言う。
「まあね、私も覚悟してるから。生きる気力もなくなって、明日、1年後、3年後、まったくわからんからね。そうや先生(※彼女が使ってきた私への呼称)、私が死ぬのわかったら、教えに来て」
私が言葉に詰まると、彼女は話し始めた。
「そら、怖さがないと言ったら嘘になるよ。もともと小学校の頃から怖がりなんやから。せやから、(死刑については)あえて思わないようにしてるんよ。これからなにしたいとか考えたら、よけい落ち込むわ。もうね、明日なに食べるかとかしか考えとらんのよ」
「ありがとうね。私はこれでサヨナラ」
その後、この機会ならば聞けるのではないかと思い、事件についての詳細を尋ねたが、3年前の返答と変わらない。そうした点では一貫性があったのである。やがて彼女は私の顔をまじまじと見つめると、口を開く。
「こうやって見ると先生若いわあ。帽子被ってるから頭がどうなってるのかはわからんけど、肌つやもええしね。体悪くないやろ」
この言葉で、彼女が高齢男性を籠絡する際に使っていた“褒め”の技が染みついていることを感じた。面会時間の終わりに私は言う。
「千佐子さん、私がこう言うのもなんだけど、お元気で。どうもありがとう」
「ありがとうね。私はこれでサヨナラ」
はっきりした声で彼女はそう告げると、広げた両掌をこちらに向け、少女のように胸の前でひらひらと振る。そして踵を返すと、金属製の扉の向こうに消えて行った。
被害者のご遺族からしたら、刑死ではないことに腸が煮えくり返る思いだろう。だが、彼女の唐突な死は、そのときに面会室を出ていくような、この世の去り方だったのである。