ずっとあとをついてくる見知らぬ男

 そんな毎日を過ごしていたシルヴィアは、ある日妹のオリヴィア(メリット・ウェヴァー)に誘われ、渋々ながら高校の同窓会に出席する。

 そこで見知らぬ男から微笑まれ、無視して帰路につくが、男はずっとあとをついてくる。実はこの男・ソール(ピーター・サースガード)は、若年性認知症を患っていたのだった。昔のことは憶えているが、数日前・数分前の記憶が消えてしまい、自分のとった行動の理由も見失ってしまうのだという。

 彼が昔の自分のトラウマをつくった原因のひとりなのではないかと疑っていたシルヴィアは、仕事として昼間だけソールの面倒をみてほしいという彼の家族の提案を受け入れる。実は彼はその「事件」とは何の関係もないことがわかり、次第に彼の穏やかで優しい人柄に惹かれていくようになる。

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「新しい記憶」から得ていく希望

 つらく苦しい過去にとらわれて生きてきたシルヴィアは、ソールと過ごす「新しい記憶」のなかで、誰かと一緒にいるあたたかさや人を信じる心を取り戻しているようにみえる。

 一方ソールは、大切な記憶が日々失われていく哀しみのなかで、シルヴィアと構築する「新しい記憶」によって、抗えない運命にわずかな希望を見いだす。

 結局、記憶は記憶でしか塗り替えられないということなのだろう。辛い過去や、それによって起きてしまったことは変えられないが、新しい記憶によって未来と、未来の自分を変えることは決して不可能ではない。

ソールはシルヴィアの娘・アナ(右)とも打ち解け、心を開いていく ©DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

 物語は、記憶に傷つけられたふたりが背負ってきた荷物を分け合い、新たな人生と希望を見いだすところで終わる。苦しいだけの人生を断ち切り、ふたりが生きる喜びを見つけていく姿には静かな感動を覚える。

 邦題のタイトルにもなっている「あの歌」は、イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムのデビュー曲「青い影」。ソールの亡くなった妻が好きだった曲で、ソール自身も好きな曲として、テーマ曲のように何度も流れるこの曲が、登場人物の心情を、さらにエモーショナルに際立たせる。

 しかし、認知症は、そう簡単に対処できる病気ではない。人によってさまざまなケースが考えられるが、それでも次第に家族やまわりの人の精神的・金銭的負担が大きくなっていくだけだという現実は変わらない。

「愛があれば大丈夫」という感傷だけで生きていけるほど、人生は甘くない。けれど、ただ生命維持のためだけに生きる人生にどれほどの価値があるのか、それをあらためて考えさせられた気がした。

キャスティングも見事であった

 シルヴィアの愛娘アナを演じたブルック・ティンバーもよかった。彼女は本作が長編映画デビューだが、思春期らしい反発心をもちながら、育ててくれた母への愛情とまわりへの感謝を忘れずに生きるピュアでまっすぐなティーンを瑞々しく演じ、好感が持てた。

アナを演じたブルック・ティンバー(左)の登場シーンには、未来と希望を感じる ©DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

 怖いのは、シルヴィアのトラウマを広げる原因となった彼女の母親を演じたのが、ホラー映画の金字塔ともいわれる、初代『サスペリア』(77年)の主人公・スージーを演じたジェシカ・ハーパーだったことだ。現在は俳優の枠を超え、作家や作曲家としても活躍している彼女の起用にはなんの文句もないが、スージーを彷彿とさせるジェシカ・ハーパーの笑顔には、時々「怖い映画」としての記憶しかない『サスペリア』の場面が重なり、息を呑んだ。

 そこまで計算しての起用だとしたら、ミシェル・フランコおそるべし、と言わざるを得ない。

INFORMATION

『あの歌を憶えている』

2/21(金)より新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開

原題:MEMORY

監督・脚本:ミシェル・フランコ/出演:ジェシカ・チャステイン、ピーター・サースガード、メリット・ウェヴァー、ブルック・ティンバー、エルシー・フィッシャー、ジェシカ・ハーパー/2023年/アメリカ・メキシコ・チリ/103 分/配給・宣伝:セテラ・インターナショナル/© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023