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憲法は「人権がない人を作ってしまった」のか

高橋 なるほど、許容範囲という。天皇ってつくづく興味深い存在ですよね。そもそも機関説なのか、人間なのか。私人なのか公人なのか。フルタイムで公人なのか、時々私人になるのか。意見が分かれるところですが、僕はその問題を一番最初に長谷部さんにお会いした時に、「天皇って人権がなくてヤバくないですか?」という話をしました。職業選択の自由も、たぶん婚姻の自由も、表現の自由もないでしょうし。

長谷部 ありませんね。

高橋 言ってみれば天皇という、一個人を犠牲にして憲法を成り立たせているのだと。それっていいんですか?という話を以前僕が長谷部さんにしたら、「天皇は人権の飛び地だ」とおっしゃいました。ある意味、天皇には人権が及ばないということだと思います。憲法学者の中には、樋口陽一先生のように「ちゃんと普通に権利はある」、自由意思で天皇になったから、自由意思でやめて私人に戻ることもできる、という意見もありますが。たしかに、近代ヨーロッパがたどり着いた人間の自由を守る規範としての憲法が、「人権がない人を作ってしまう」のは疑問に思うんです。

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 アメリカの作家ル・グウィンの「オメラスを歩み去る人々」という有名な短編(『風の十二方位』所収)がありますが、オメラスという理想郷の町でみんなは本当に幸せで何の問題もなく暮らしているんですが、町の地下牢には知的障害の子が閉じ込められている――この子の不幸を犠牲にして、この町は平和と繁栄を享受しているという寓話です。

©平松市聖/文藝春秋

 僕はすごく好きな短編なんですが、サンデルも例に挙げた倫理上の問題で、「あなたはその時どうしますか?」と。僕は天皇を見ていると、ちょっと失礼なんですが、ふとそのエピソードを思い浮かべてしまうんです。ある意味、人権を奪われた天皇の犠牲のうえにこの国の平和は成り立っているのではないかと。「やっぱり人権の飛び地だからしょうがないよ」と倫理的に言ってしまえるのかどうか、最後に長谷部さんにお聞きしたいです。