身分制の飛び地として残された天皇制
長谷部 なるほど。個人としてかわいそうかどうかという話と別の問題として、私は現状をどう説明できるかという問題を考える人間なんですね、高橋さんも見抜いておられると思いますが(笑)。で、その観点から見ると、現在の天皇制の中に生きる天皇及び皇族の人たちというのは、やはり飛び地の中に生きている。つまり、そこだけ身分制になっているんです。
私の憲法の先生のひとり樋口陽一先生の理論枠組みからすると、日本国憲法もそうなんですが、近代憲法というのは、前近代的な身分制秩序を破壊して、一方に平等な人権を享有する人一般を作りだし、他方で政治権力をすべて集中管理する近代国家を作り出す装置です。すべての政治権力を掌握する近代国家が一方にできるので、その対蹠点に平等な人権を享有する人一般、市民一般というものが析出される。
そのモデルでいうと、日本国憲法は身分制秩序の破壊を貫徹しなかった。大部分は貫徹したんですが、最後に天皇制という身分制の飛び地を残してしまったんです。残したことについてはいろいろな評価があります。なんでそんな飛び地の中で生きるかわいそうな人たちを残したのだと。そういう批判もありえますが、現在の憲法を前提とする限り、そういう記述しかあり得ないと私は思います。樋口憲法学でいうところの平等な権利を享有する人一般の創出という近代国家を作り出す過程を、日本国憲法は最後まで突き詰めなかったということです。
だから、飛び地として残された天皇制について、「人権をちゃんと保障しないのはけしからんではないか」と言い出すと、そこは論理がねじ曲がってしまう。天皇が本当にかわいそうだ、許しがたい、ある種の人権侵害であるということであれば、それは天皇制自体をなくすしかない。それこそ簡単に、主権者たる国民の合意ができるような話ではありません。
高橋 分かりました。これを変えるということは憲法の、ある意味革命になるということでしょうか。
長谷部 革命とまでは言えないんじゃないかと(笑)。根本にある論理を一貫させるということですので。例えば戦前の天皇主権から国民主権への転換ほどの革命的転換ではないと私は思います。単に近代憲法の論理を最後まで突き詰めて、飛び地をなくすかどうかという話だと思います。
高橋 なるほど。憲法って話せば話すほど本当に奥が深くて、面白いですね。長谷部さん、今日はどうもありがとうございました。
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年、広島県生まれ。作家、明治学院大学国際学部教授。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長篇小説賞優秀作受賞。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。著書に『ニッポンの小説』『「悪」と戦う』『恋する原発』『ぼくらの民主主義なんだぜ』『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』『ゆっくりおやすみ、樹の下で』他多数。
長谷部恭男(はせべ・やすお)
1956年、広島県生まれ。東京大学法学部卒業。早稲田大学法学学術院教授、東京大学名誉教授、日本公法学会理事長。専門は憲法学。「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人の一人。東京大学大学院法学政治学研究科教授、ニューヨーク大学客員教授などを歴任。著書に『憲法学のフロンティア』『比較不能な価値の迷路』『憲法と平和を問いなおす』『憲法の理性』『憲法とは何か』『憲法の境界』『憲法入門』『憲法の良識 「国のかたち」を壊さない仕組み』などがある。