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「ワシントン・ポスト」の記事へのタリーズの反論

 さすがのタリーズも「ワシントン・ポスト」の取材には動揺し、「本の信頼性がトイレに流れた今、私はこの本のプロモーションはしない」とコメントしてしまった。

 しかし、その翌日、タリーズは版元と共同で声明を発表し、記事に反論した。「そもそもフースという男が、時に信頼がおけない語り手だと、私は原稿にはっきりと書いている」「この本が焦点を当てたのはフースの若い頃と、1969~1980年のことが中心であり、ワシントン・ポストが指摘するような問題はない」と。

 本は7月12日に刊行された。

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 今回の日本語版は、〔訳者付記〕にもあるように、その初版を底本としつつ、著者からの手書きの訂正と、著者のノートを加えたものである。著者のノートの中でタリーズは、「ワシントン・ポスト」の疑問点についてわざわざこう反論している。フースが1980年、アール・バラードという男に売り払った後もバラードの好意でモーテルには出入りできた、それをバラードとフースに取材のうえ確認をした、と。

 タリーズの手書きの訂正は、「ポスト」が明らかにした1980年からの所有権の移転を誠実に反映したもので、ごくわずかなものである。

 タリーズは、1970年、『名声と無名』という著書の「著者の覚書」で、「ニュー・ジャーナリズム」についてつぎのように書いている。

「ニュー・ジャーナリズムはしばしば小説のように読めるけれども、小説ではない。それは、確認できる事実のたんなる寄せ集めや当事者の発言の引用、過去の形式に執着した統合的なスタイルの使用によるものより大きな真実を追求するが、しかし最も信頼できるルポルタージュと同じように信頼できるものであり、また信頼できるものであるべきなのである。」 「私は場面全体や台詞、雰囲気、ドラマ、葛藤を吸収するようにつとめ、私が書こうとする人物の観点から書いて、私が叙述する場合、対象となる人物が考えていることがらまで可能なかぎり明らかにしようとする。対象となる人物が考えている内容を把握することは、もちろん対象の全面的な協力がなければ、不可能である。」(常盤新平訳)  

 本書のなかでタリーズは、自分はフィクション作家ではないので、「なにひとつ想像にまかせず、(略)きっちり裏づけのとれる本名とまぎれもない事実のみを書くか、そうでなかったら1本の記事も書かない」(190ページ)と銘記している。その通りだろう。しかし、「対象となる人物」の「考えていることがら」をその人物の「観点から書く」というニュー・ジャーナリズムのみごとな1冊になっていることはまちがいない。「日記」という媒体に目をつけたのは正解だった。「信頼できない語り手」だから、日記には夢想も混じっているかもしれない。しかし、そういうところにかれの「真実」がある。かくして本書は、40年にわたるアメリカ社会の変遷を描くと同時に、その時代を生きてきた奇妙な男の内面の物語にもなっている。

 スピルバーグとメンデスによる映画化は、11月に突然、流れてしまった。本が出る少なくとも1年以上前よりドキュメンタリー映画が、タリーズの協力のもとに撮影されていたのである。そのことをメンデスは知らなかった。その編集途中のフィルムを見て「完璧な出来で、これ以上のものを我々に作ることはできない」と語ったという。『ゲイ・タリーズと覗き魔』というその映画は、2016年中には完成する予定。監督はジョシュ・カーリとマイルズ・ケインのふたり。日本での公開が待たれる。

 


ゲイ・タリーズ Gay Talese

© 2016 Rachel Cobb

1932年、アメリカ・ニュージャージー州のオーシャンシティでイタリア移民の両親のもとに生まれる。アラバマ大学を卒業後、「ニューヨーク・タイムズ」に雇われ、短い兵役を経た後、65年まで「ニューヨーク・タイムズ」に勤め、その後は「エスクァイア」「ニューズウィーク」など多くの雑誌で執筆。ニュージャーナリズムの旗手と言われた。

主な著書に「ニューヨーク・タイムズ」の内幕を描いた『王国と権力』、マフィアのボナンノ一家を描いた『汝の父を敬え』、アメリカの性意識、性産業の変革を考察した『汝の隣人の妻』などがある。

『汝の隣人の妻』の取材をしていた1980年、ジェラルド・フースというコロラド在住のモーテル経営者から手紙をもらったのがきっかけで、彼がその後も含めて30年以上、天井裏から覗いて書き続けた日誌をもとに書いたのが本書。本の刊行前、2016年春に抜粋記事が「ニューヨーカー」で発表された直後から大きな反響を巻き起こした。

 

解説 青山 南(あおやま・みなみ)

1949年、福島県生まれ。早稲田大学卒業。翻訳家、エッセイスト。

著書に『短編小説のアメリカ52講』『南の話』など。

訳書にケルアック『オン・ザ・ロード』、『作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみよう! パリ・レヴュー・インタヴューⅠ』など。