世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。

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『非道、行ずべからず』(松井今朝子 著)

「この道に至らんと思はん者は、非道を行(ぎょう)ずべからず」――世阿弥の『風姿花伝』にある言葉だ。何かひとつの道を極めようとする者は、断じてほかの道を行こうとしてはならないという意味である。松井今朝子『非道、行ずべからず』は、歌舞伎という芸の道をめぐる時代ミステリーだ。

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 時は江戸時代後期、文化六年。元日に芝居小屋の中村座が炎上し、焼け跡から男の絞殺死体が見つかった。折しも中村座では、立女形(たておやま)の荻野沢之丞が息子の市之介と宇源次のどちらに名跡(みょうせき)を譲るかが話題になっていた。跡を継ぐべき者の名を、いつまでも思わせぶりに明言しない沢之丞の真意とは?

 千両を稼ぐ人気役者と下積み役者の格差、裏方の苦労、金主の横暴、女色男色入り乱れた複雑な色模様……松竹で歌舞伎の企画・製作に携わり、歌舞伎関連の著書もある著者だけあって、江戸歌舞伎の光と影を読者の前に鮮烈に浮かび上がらせる筆致は無類だ。そして、それらの人間模様を縫うように進行する連続殺人。

 本書は、人殺しに手を染めた犯人のみならず、数多い人間の「非道」の物語でもある。だが、その中には許し難いものもあれば、人情において理解できなくもないと思えるものもある。芸道と人道は矛盾するものなのか、大の虫を生かすために小の虫の犠牲はどこまで許されるか――という問題もある。人間それぞれに理がある以上、それらは必ずぶつかり合い、諍(いさか)いを生む。そう思えば本書は、芸道という特異な世界に限らない、人の世の哀しい縮図でもあるのだ。なお、本書に登場した人々のその後を描いた『道絶えずば、また』も併せて読んでほしい。(百)

非道、行ずべからず (集英社文庫)

松井 今朝子(著)

集英社
2005年4月21日 発売

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道絶えずば、また (集英社文庫)

松井 今朝子(著)

集英社
2012年7月20日 発売

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