過ぎていく時間
筆者は将棋のネット中継に携わる中で、記録係を務める鈴木の姿を何度も撮影した。手元のハードディスクには、そんな鈴木の写真がたくさん収められている。
2011年2月、栃木県大田原市でおこなわれた王将戦七番勝負第3局・久保利明王将-豊島将之六段戦。弱冠20歳の大器、豊島が初めてタイトル戦に登場したシリーズで、23歳の鈴木は記録係として盤側に座っている。豊島に比べて鈴木が歳を取りすぎている、というわけではない。豊島の出世が早いだけだ。
数多くの記録を取った鈴木には、印象に残る対局が2つあるという。
1つは2011年3月のA級順位戦・森内俊之九段-久保利明二冠戦。森内には名人挑戦、久保には残留がかかった大一番だった。
「その将棋は、迫力がすごかったです」
終局は深夜1時40分。175手の大熱戦を制して、森内が名人挑戦権をつかんだ。
2011年6月。羽生善治名人に森内九段が挑む名人戦七番勝負の第6局でも、鈴木は記録係を務めた。対局場は将棋駒の産地として知られる、山形県天童市。対局前日、鈴木は地元の人たちから地酒を勧められた。人のいい鈴木は、断ることを知らない。親切に注がれるまま、美味い地酒を何杯も飲んだ。
「アホなんで、がばがば飲んでたんです。その時にですね、羽生先生から『もう飲まなくても大丈夫だよ』って言ってもらいました」
翌日起きてみると、当然のように二日酔いだった。午前中はクラクラとしながらも、記録係は無事に務めた。その対局は羽生名人が勝って、3勝3敗に。最終第7局は森内九段が勝ち、4勝3敗で名人に復位した。
「逆転負けがすごく多かった」
鈴木は記録係も真面目に務め、普段の勉強にも身を入れていた。自分が強くなっていく実感もあった。しかし三段リーグでは、思うような成績が残せなかった。なぜか。
「逆転負けがすごく多かったんです。序中盤はそんなに負けてない。ずっと競っていて、最後の最後で負けることが多かった。自分は終盤力で、みんなよりも少し落ちていたんだと思います。相手も強いので、ちょっとしたミスはもう許してくれない。それで勝てなくなって、メンタルも病んでいたかもしれません」
聞いていて、つらくなるような話だ。それが奨励会、三段リーグというところなのだろうか。
「真剣にはやっていました。真剣にはやってたんですけど……。やっぱり心の部分が……。心がすごく弱かったんです。そこは今でも、もったいなかったなと思います。もうちょっとふてぶてしかったら……。もうちょっと頑張れたかな、と思います」
9勝9敗。4勝14敗。8勝10敗。4勝14敗。8勝10敗。7勝11敗。
鈴木の三段リーグの成績である。上位2人に入る成績は残せないまま、またたくまに6期3年が過ぎていった。
(後編へ続く)