「勉強をするのが当たり前」という自然な一体感
関西会館の棋士室にずっといたことで、奨励会員や若手棋士たちが、朝から晩まで、ずっと将棋に打ち込んでいることがわかった。
「勉強量が違いました。『自分は一生懸命やったと思ってたけど、全然ウソだったな』ということに気づけた。関西には『勉強をするのが当たり前』という自然な一体感がありました。私は『勉強はつらいこと』というイメージがあったんですが、関西ではみんなが楽しんでやっていた。自分もそこにいれば強くなれるかもしれないと思いました。東京では勉強する気になれなかったんで、環境を変えようと大阪に何度も行きました。棋士室にいると声をかけてもらえるようになって、1週間ずっと研究会を開いてもらったこともあります」
鈴木にとって大阪での日々は、大きな転機となった。
「夜行バス代しかなくて、ホテル代はない。だから人の家に泊まり込ませてもらいました。西川君(和宏現六段)とか、都成君(竜馬現五段)とか、ホッシー(星野良生現四段)とか、村田顕弘君(現六段)とか。2週間ぐらい居させてもらったりしました」
当時親しくなった関西の関係者とは、今でも交流がある。西川、都成、稲葉陽(現八段)、船江恒平(現六段)、竹内貴浩(現指導棋士四段)といったメンバーとは、1年に1回、ともに旅行に行く間柄だ。
奨励会8年目の2009年秋。鈴木はようやく三段に上がった。23歳の時だった。
三段リーグ初参加、最高のスタートを切った
2010年度前期。鈴木にとって、初めての三段リーグが始まった。三段リーグは半年で1期。26歳の誕生日まで、鈴木に残された期間は7期だった。
鈴木は最高のスタートを切った。7局を終えた時点で6勝1敗。鈴木が勝った相手は、千田翔太(現六段)、船江、西田拓也(現四段)、八代弥(現六段)、石井健太郎(現五段)など。鈴木が所属していた三段リーグが、いかに厳しいところだったかは、そのリストだけでもうかがいしれよう。
鈴木にとっての三段リーグ8戦目。そこで対局したのが、当時15歳、高1の佐々木勇気だった。
2004年、佐々木は小学生名人戦に優勝した。小学4年での優勝は、渡辺明(現棋王)以来の快挙だった。同年、奨励会に入会。英才が揃う奨励会員の中にあって、佐々木は頭一つ抜けた、屈指の天才だった。中2の時点では早くも三段に昇段。渡辺明以来の中学生棋士の期待もかけられていた。惜しくもそれはかなわなかったが、いつ四段に昇段しても、誰も不思議とは思わない実力を持っていた。
鈴木6勝1敗。佐々木5勝3敗。この時の三段リーグでの対局を、鈴木はよく覚えているという。
「200手ぐらいやったのかな。ずっと勝ちだったんです。それが最後に追いつかれました。(相手陣に玉が入り込む)入玉模様になってたんですが、相手陣で詰まされて負けました。それがもう、すごく悔しくて。私はそれまで、彼に負けたことがなかったんです。だからショックだったですね。『あの将棋を勝ちきれないようじゃ……』。そう思って、自分を責め続けました」
両者にとっては、この一局が大きな分岐点となった。佐々木はその後も勝ち続け、14勝4敗で1位通過。16歳の若さで、四段に昇段した。
一方で、鈴木はどうだったか。
「佐々木勇気戦に負けた後にちょっとクラっときました。そこから勝てなくなって……。あとは連敗です。パンチドランカーみたいになっていきました」
三段リーグには、鈴木の従弟の森村賢平もいた。鈴木は三段に上がって、ようやく従弟に追いついた気がした。しかし三段リーグでの初めての対戦も、従弟に敗れた。
最初の三段リーグは、最終的には9勝9敗の成績だった。