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「里谷多英に憧れてた」劇作家・根本宗子が語る、モーグル断念からの“劇的人生”

6年の車椅子生活、中村勘三郎との出会い

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演劇部に入らなかった理由

——好きな演目はあるんですか?

根本 「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」ですかね。一番好きなのは。

——ご縁があったとはいえ、歌舞伎を観にいく家ってなかなかハイカルチャーだと思うんですが、いいおうちだったんですか?

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根本 父も母もおばあちゃんも不動産業の不動産一家で、昔はわりかしいいおうちだったんですけどね。父の仕事がダメになったのと、私の怪我とが重なって、めちゃくちゃお金がかかった時期があったんです。「あっ、家のお金がやばそう」って子どもながらに気づくレベルの。でも、そんな時でも変わらずに親は私を芝居に連れて行ってくれたので、ほんとにありがたかったと思ってます。

 

——芝居好きのお母さんの影響も大きいんですね。

根本 母は真田広之が超好きで、一緒に三谷幸喜さんの『オケピ!』を観に行ったことを覚えてます。最初のバージョンは真田さんが主演だったので。どこで観たんだろう、地方でも観た気がするんですよ。2回観に行ったのかもしれない。

——学校の演劇部には入らなかったんですか?

根本 入らなかったです。車椅子だったことも大きいんですけど、女子高だったので当然、男役も女がやる。それに違和感があった。ただ、演劇は年間120本くらい観に行ってました。DVDで観たものを入れると、1年に何百本観てたのかわからないですね。

 

星野源さんがまだ舞台ばかりやっていた頃

——大人計画つながりで、どんどん開拓して行ったんですか。

根本 芝居に行くとチラシをもらいますよね。それを見ながら、大人計画に出ている役者さんが今度はこの劇団の芝居に出るんだとかチェックして観に行くことをしてました。新感線やナイロン100℃から、マニアックな小劇場に至るまで。あのころは特に阿部(サダヲ)さんを追いかけていたと思います。星野(源)さんがまだ舞台ばかりやっていた頃ですね。

——印象的な劇場ってありましたか?

根本 劇場で芝居を選んでたんじゃないのでそれはないですが、自分の作品が本多劇場で上演できたときはうれしかったです。客席が400くらい。マイクをつけなくても声が届く、自分がやっていることを一番後ろの席にまで伝えられるやりやすい劇場です。新作も本多劇場でできるので、うれしいですね。

これまでの公演チラシ。新作は「月刊『根本宗子』」16作目となる

——劇作家にとって劇場がどこか、は大きな問題なんですね。

根本 箱にどう合わせるかは、すべての作家が考えていることだと思います。見せ方、見せる演出に関わってくるものなので。やりたい作品で劇場選ぶ作家と、決まった劇場に合わせて書く人がいると思うけど。

——2016年に「夏果て幸せの果て」で岸田戯曲賞候補になりました。賞は意識するものですか?

根本 賞を目指して、ということはないです。もらえるものはもらいたいですけど(笑)。ただ、演劇の賞って自分だけがもらう感じではないと思ってて。私の場合「当て書き」するから余計そうですが、出てくれた役者やスタッフと一緒にもらう感覚なのかなと。