展示物から浮かび上がるそれぞれの物語
原発事故で残されたモノには、必ず物語がある。今回の展示物は7人から提供され、筑波学芸員らは全員に聞き取りを行った。
浮かび上がってきたのは、被災者の力強い姿だった。
富岡町でホテルを経営していた男性は、無人になった町で最も目立つ国道の横断歩道に「富岡は負けん!」と書いた横断幕を掲げた。NTT東日本のライブカメラで映される場所だったことから、全国に避難した町民を勇気づけた。
この男性は他にも、なかなか自宅に帰れない人の代わりに避難指示区域に立ち入り、草刈りなどを行ってきた。
「出入口はここです」と張り紙をした前出の浪江町の女性は、8カ所目の避難先の神奈川県横浜市で仮住まいを続けている。しかし、海外の貧しい人の支援を行うNPOの代表になり、外国を訪れるなどして活動を始めた。
「復旧は難しくても、復興はできるのかもしれません」
「まだ避難中の人もいます。避難指示が解除されても地域は元に戻っていません。復旧はしていないのです。でも、自らの意志で復興を果たしつつある人が多いと感じませんか。復旧は難しくても、復興はできるのかもしれません」。筑波学芸員はそう気づいた。
筑波学芸員は2004年に発生した新潟県中越地震などのメモリアル施設で働いていたが、2年前に福島県立博物館へ移った。
「実は、同じような傾向が中越地震にもありました。過疎化が進む一方だった旧山古志村では、地震を機におじいちゃんやおばあちゃんが地域の魅力に改めて気づき、『俺達は一人でも生きられる。でも、一人では生きない』などと話していました。展示施設は、そうした助け合いの言葉で埋められています。もちろん、福島にはまだ震災や原発事故を乗り越えられない人が多くいます。ただ、様々な課題を抱えながらも、未来に向かっていくことはできる。今回の7人に教えられました」と話す。
同館では新型コロナウイルス対策のため、トークイベントなどが軒並み中止されたが、震災遺産の展示は続けられている。
撮影=葉上太郎
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