元皇族、東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)(1887―1990)は平成2(1990)年1月20日、102歳の天寿を全うした。久邇宮家の九男に生まれ、学習院時代から“やんちゃ”で知られた。東久邇宮家を創設、明治天皇の皇女と結婚後に単身で渡仏。「東伯爵」を名乗り画家モネらとパリに遊んだ。戦争中は軍人として徐州、漢口へ。戦後初の首相となるが、GHQの指令で在任50日に終わる。昭和22(1947)年、皇籍を離脱し多年あこがれた「自由な一市民」となった。信彦(のぶひこ)さんは孫である。
写真などを見ていますと、祖父とは私が1歳から1歳半くらいまでは一緒に住んでいたようです。その後はずっと離れて暮らしていました。そのせいもあるかもしれませんが、怖い存在でもありました。軍人ですから、時間や物事に対してきちんとしているのが好きでしたね。気に入った場所に、きちんと物がないと不満なんです。
自分が納得できなかったり、理屈に合わなかったりすると、決して物事を認めようとしないんです。そういう意味では頑固で、(母方の祖父の)昭和天皇とは性格的にまったく違っていました。でも、なかなか茶目っ気もあるので、憎めないんですよ。特に私は両親を早く亡くしましたので、親代わりにずいぶん可愛がってもらいました。
パリに留学していたことは、祖父の人生にとって大きな意味を持っていたような気がします。当時のことですから、日本にいれば人の目もある、いちいち気にしなければならなかったでしょう。でもパリでは、日本の皇族であるといっても、周囲は気にしているようで気にしていない。ヨーロッパの人々の王室に対する接し方が心地よかったのではないでしょうか。エッフェル塔に軍の施設を見にいった話などをしていました。

パリでは絵画を習っていたようですね。持って帰ってきた絵の具を貰ったことがあります。祖父の絵はあまり見ていないのですが、お皿に描いた馬の絵など、写実的なものでした。交遊のあったモネに、絵を幾つかもらって来ていたんですが、良いものは蔵にしまっておいたつもりが、家の中にかけたままになっていて、空襲で焼けてしまいました。そのことはずいぶん残念がっていましたね。また当時、向こうの切手を収集していて、年代順に5冊ほどに分かれた収集用の本にこまめに貼ってあるものが残っています。
若い頃フランスにいて西洋式の生活に馴染み、その後は軍隊生活を送っていたせいでしょうか。家は和風のつくりなんですが、祖父は畳にベッドを置いていました。祖母は布団で寝ていましたけれども。
私たちはもともと騙されやすい
私が会社に入った頃から、1カ月に1回は祖父の家で食事をするようにしていました。当時はもう特に職業にはついていなくて、幾つかの顧問職・名誉職についていました。戦後、皇籍を離脱してからは、祖父の名前を利用しようとする人が近寄ってきて、おだてられては様々な事業に乗せられたりしました。晩年までそうして近寄ってくる人は後をたたなくて、古くから付いている周囲の人が手前で抑えてくれるようにしていました。私たちは、皆もともと騙されやすいんです。嘘をつくことは出来ませんし、商売の駆け引きなども出来ない。
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source : 文藝春秋 1998年12月号

