今年の3月に11年間担当した夜の経済ニュース番組『WBS(ワールドビジネスサテライト)』を降板しました。それから有給休暇を消化し、6月にテレビ東京を退社。丸24年の会社員生活でした。緊張の糸が切れたのか、番組から離れた途端に体調を崩して寝込んでしまい、しばらくはまるで繭の中にいるように世の中との繋がりをほとんど絶って生活していました。
その間に会社のメールアドレスも消滅し、退職の挨拶を申し上げないまま繋がりがなくなってしまった方がたくさんいらっしゃいます。この場をお借りしてお詫びとこれまでのお礼を申し上げます。皆様、たくさんお世話になりましてありがとうございました。
こうしてすっかり引きこもり気味に暮らしていた私に、知人を通じて文藝春秋さんが連絡をくださいました。いま思っていることを自由に書いてみませんかとありがたい提案をいただきましたので、書き記してみます。

これまでは日々起きる最新の情報を伝えてきた私ですが、最近夢中になっているのは遠い昔、いまから191年前の京都での出来事に思いを馳せることです。
大江家では昔から、「うちの先祖には清水の舞台から本当に飛び降りた人がいる」と聞かされてきて、変わった人がいたのだなと思っていました。ひょんなことから清水寺の執事である 森清顕さんと夫が知り合いになり話してみたところ、時期と名前をもとに調べてくださってあっという間に『清水寺 成就院日記』という当時の記録から先祖のエピソードが見つかったのです。
時は天保5(1834)年2月8日の早朝。舞台から人が飛び落ちたのを確認し、門番の大七さんや役人の山川巌さん、茶店の人たちが駆けつけて1人の若い男性を助け起こします。どうしたのだと尋ねると、「心願がありました」と言ったので、願掛けの飛び落ちだと判断しました(清水寺では「飛び落ち」といいます)。その名は大江俊哲(しゅんてつ)。豊前中津藩から出てきて京都で医師修業をしている23歳の若者でした。心願はただひとつ、腕の良い医師になること。舞台から地表まで12メートルほど落下したにもかかわらず無傷でした。
修業先は「河原町表寺 山田主計」という医師で、使いをやると、師匠の山田主計さんと俊哲の親友・西文沢さんが慌てて坂をのぼってきました。飛び落ちがあった場合、事件性のあるものとして奉行所に報告をする必要がありましたが、山田さんは「あまり大ごとにして周辺の人に迷惑がかかると悪い。ちゃんと面倒を見ますのでもう連れて帰らせてください」と清水寺の皆さんに頼み込みます。最終的に「この者をしっかり監督しますのでご安心ください」と山田さんが一文をしたため、西さんと連名で署名することで清水寺さんの赦しを得て、3人は帰っていきました。
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